運がついた

 先日。母親を病院に連れて行く途中のことだった。

 不整脈があって循環器科にかかっている為、月に一回、総合病院の受診にいくのだが、毎月の事なのでさして気にも留めずに実家に行き母親を車に乗せた。朝8時過ぎの事。冷え込んだ朝だったので、多少は足取りが重かったがいつもとさほど変わった様子もなかった。車に乗ってからも、助手席の母はディサービスでの出来事などをあれこれ喋り元気だったのだが、途中まで来たところで口数が少なくなった。体調が悪くなると喋らなくなるのが母親なのだ。

 どうした?心拍数があがった?と聞くと、出そう、と言う。でそう?と問い返すと、こりゃまずい、とつぶやく。大便のほう?と聞くと、声を出さずに頷いた。

 病院まであと五分。病院に急ぐか。それとも実家に戻るべきか。どっちにしろ時間は同じくらいかかる。どうする?どうする?と迷っていたら、間に合いそうにないよ、と母親は眉間にしわを寄せた。もう病院の建物がすぐそこに見えている。がんばって、と言ったら、あっ出た、だめだわ、でよるでよるわ、もうなんでこうなるんかねえ、と情けなさそうな声を出した。

 

 これと同じような事があった。

 あれはたしか私が幼稚園の頃のことだった。

 朝はやく家を出たのはいいが、幼稚園までの道のり半分ってところでうんちがしたくなった。早く家を出たから戻っても幼稚園に遅刻することはないと思ったが、このまま幼稚園に急いで幼稚園のトイレにかけ込んだ方が良いと思ったので駆け足をした。早朝ならまだ誰も来ていない。うんちをした事でからかわれる事もないと踏んだ。

 ところがだ、駆け足をしたせいか幼稚園まで持つと踏んだ腹の調子が急激に悪化。風雲急を告げはじめた。一分間隔で襲ってきた発作が三十秒ごとになり、今にも爆発しそうな発作が連続して来るようになって、もうだめだと思った時、幼稚園に着いた。正門をくぐり園舎脇にあった便所を見た時の、助かったというあの安堵感は今も昨日の事のように覚えている。

 無論、園児だった幼い私は便所に突進したのだが、運命の悪戯かトイレへの入り口が閉まっていた。鍵かかかっていて押しても引いても開けられない。便所を見たときに、もう大丈夫と気を緩めたのに、鍵がかかっているからといって今更、最高レベルの緊張感を再度取り戻せるわけがない。後はなすがままだった。

 私は泣きながら家への道を戻ったが、はみ出た大便がパンツの脇から漏れてズボンの裾からぼろぼろとこぼれ落ち、事情を知らない道行く人が不思議そうに私を見ていたのをよく覚えている。

 

 息子の車の中でしくじってしまった母親は、ごめんねを何度も繰り返したが、私は実家に戻るまで、あの幼稚園のときの記憶をたどっていた。

 泣きながら戻った実家で待っていた母親は、しくじった私を笑いながら迎えてくれた。ええよええよ、汚れたら洗やあええんじゃけえ。やれんかったねえ。母親は優しくそういって、ズボンを脱がし便で汚れた下半身をお湯に着けた手ぬぐいできれいに拭いてくれた。

 新しい別のズボンに履き替えさせてもらった私は、上機嫌で幼稚園に駆け戻った。

 

 あれから月日は流れて50年。幼稚園児だった私は還暦前。若かった母親はもう80歳を大きく超えた。

 いいよいいよ、汚れたら洗えばいいんだし。気にすることはないよ。車だって運がついたと思えばいいさ。

 私は実家への道を急いだ。