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僕がその流星を見たのは今のこの学校に転校してきて一月ほどたった頃の事でした。僕はその時、強制的に居残りをさせられていた理科室の窓辺の席で課題として出されていた英単語の書取をしぶしぶやっていたのです。担任である理科教師が僕の課題未提出があまりにひどいと英語の教師からクレームをつけられ、挙げ句僕に居残りを命じたためそんなことになったのですが、流星らしき光はチラリと右目の端っこにはいりこんできたのです。どんよりと曇った外気の中、清涼な光が窓の向こう側からこっち側にアッと言う間に通り過ぎ視界から消えたのです。即座に流星だと思いました。
理科室の窓の向こう側は狭い用水路を隔てて幅三メートルほどの舗装道路になっていて、校舎にそってまっすぐに続いているその道にそって生け垣が設えてあるのですが、ちょうど理科室の教室の窓分だけ枯れて道路が見えるようになっています。その流星は、どうやらその道を向こうからこっちにむかって飛んできたようでしたが、まさにそれは見えている間に願い事を唱えればそれが叶うだなんて無理難題をつきつけられる夜空の流れ星さながらにあっという間でしたので正体がわからず、今のは何だったのだろうかとぼんやり考えていました。ライトをつけた車だったのかなとも思いましたが、その道路はもともと幅が狭い上、校舎の端まで行くとあとは川土手の堤防に繋がっている道なので時折、近所のお年寄りが散歩をするくらいのことで人通りはもちろん、車が通ることはまずなかったこともあって、それはないなと思いましたが、じゃあ何だったのかと考えてもわかるはずもなく、時計を見れば課題の提出締め切りだと言い渡された五時がもうすぐに迫っていたので又課題に取りかかったのですが、英単語を一つにつき五回ずつノートに書くという馬鹿げた課題にうんざりしていたら、またそれが来たのです。あっ来た、と思ったのですが、そう思って腰を上げて窓まで身を乗り出した時にはもうすでに、そのキラキラはどこかに消えていました。
二度有ることは三度あると言いますから、今度こそ絶対に見逃さないぞと席を離れて窓ガラスに顔を押し当ててつぎの流星を待っていましたら、キラキラ輝くそれの代わりに担任教師が英語教師を伴って入って来て、こらこらと怒られてしまいました。語学というものは単語を覚えないことにはどうしようもなく、単語を覚えるには地道に書き取りをするしかないのだと若い女性の英語教師は課題をやることの重要性を熱く語っておりましたが、英語で話す相手などいるはずもない山奥の田舎にいて課題の英単語をいくら覚えたところで、何の役にもたたないし、できそこないの僕のことだから、どうせすぐに忘れてしまうわけで、やるだけ無駄ですよと言おうかと思ったのですが、あまりに英語教師が熱く語るもんで話の腰を折るのも失礼かと思って黙って聞く振りをしていました。結局そんなこんなでその日は、もう流星の正体を確認することはできなかったのですが、これまで学校が終わるととっとと自宅に帰っており、放課後まで学校に居残ったのは転校してきてから初めての事で、ほんのさっきまではもう二度と居残りなんかお断りだと思っていた僕は、あの正体を確かめられるまでなら居残ってもいいなと思ったりしました。
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僕が前に住んでいたのは、JR以外にも私鉄や地下鉄が複数路線走っており、高速道路も立体交差や高架で市街地をはしり、野球とサッカーのプロチームがあって、応援したければ気軽に観戦に行け、中心部には老舗百貨店、ちょいと郊外には量販店、さらに離れるとアウトレットモールなんかがあって、甲子園大会でかつて優勝したことがある男子校だとか、駅伝の全国大会で常連の私立高校があったり、国立私立の大学も二三あり、普通の人は高層の集合住宅、お金持ちは低層の一軒家に住む、そんな町だったのですが、今僕が住んでいるのは、唯一あったJRも数年前に廃線になり、高速道路は通っているもののインターチェンジは数十キロも離れているので高速道路はあってもないようなものだが、かといって交通手段はバスか自家用車しかなく、それがなかったらどこにも行けず、プロスポーツチームはおろか、そもそも人がおらず、人の数よりも確実に山の狸や狐のほうが多いと揶揄され、商店といえばシャッター通りになった専門店街に一軒だけコンビニがあるが、そこを少しでも離れると移動販売車以外何もなく、学校といえば二つの小学校と一つの中学校があるだけで高校も大学もなく、お金持ちも普通の人も等しく低層の一軒家に住んでいるような(高層建築物といえば役場の三階建てが一番高い)山村で、そんな街からそんな村に一月ほど前に引っ越してきたのですが、なぜ引っ越してきたのかと言えば原因は僕でした。
僕は中学に入学した年に毎月平均四日、二年目には平均五日学校を休みました。どうやら年間三〇日学校を休むと不登校生徒として認定され教育委員会に報告の上、表彰されるようで、母親は学校に呼び出され、そのことを告げられた上、学校を休む理由を問い質されたようでした。そもそも学習意欲が皆無で無論成績もこれ以上ないというくらいの低空飛行、このままでは高校進学はまず無理だが、その無気力さは人間関係に原因があるのではないか、事実お宅の息子さんには友達と呼べるような友達がおらず、学校に来てもいつも一人で行動している、なんて担任だったおばさん教師は余計な事をさんざ喋ったみたいで、帰宅した母親はてっきりイジメにでもあっているに違いないと早合点し、さらに帰宅した父親にそのことを告げると、父親は顔色もかえず、じゃあ転校でもするかと言い出した。そんなわけなのです。
はっきりいって僕は変わった少年ですが、父親も似たようなもので、(というよりも変わり者の父親の息子だから変わっているのは当たり前なのですが)まともなのは母親だけですが、変わり者の父親を好きになって結婚したのですからまともに見える母親も本当は変わっているのかもしれません。父親は昔医薬品メーカーの研究職だったようですが、僕が物心をついた時には、すでにそこの会社を辞めて、医薬品関係の資料や書籍の翻訳の仕事を個人で請け負ってやっておりました。その翻訳の仕事は医薬品開発に伴う専門用語が満載なため、いくら英語力があっても医学薬学の基礎知識がないとどうにもならない仕事なのだそうですが、じっさいの仕事はというと、メールで来た注文の文書を自宅で翻訳してメールで送信して、代価が金融機関に振り込まれるだけですから、世界中のどこに住もうが仕事には一切関係ないのだそうです。どうせなら田舎に住もうと父親は言いだし、かろうじて光通信ケーブルが通っているこの村を選んだということらしいのですが、本当に僕のために引っ越したのかどうか怪しいものです。父親は母親の話を鵜呑みにし、お前ほんとうにイジメられてるのか?なんて言うかと思えば、そんな気配は全くなく、田舎はいいぞぉなんてにやにやしながらネットで検索しはじめましたから、本当はただ単に父親の気まぐれで田舎に住みたくなっていたというだけなんじゃないかと思っています。
そもそも、僕はイジメになんかあっていません。たしかに担任のおばちゃん先生の言うとおり僕には友達がいませんでしたが、それは担任の先生がそう言ってたと母親から聞いて、ほお、そう言われればそうだなと思った程度のことで、どうして友達がいなければいけないのか僕にはそっちのほうがわからないのです。友達がいなくて困るといえば、体育で、はいじゃあ二人組を作って、とか指示されたときに一人でポツンといつまでも立っていないといけないくらいの事で、ほかに困ることはありません。僕は小学校の六年生の時も半年間学校に行かず家にいましたが、その時もなんだかんだと大変でした。担任の先生はしつこく家庭訪問をくりかえし、馬鹿のひとつ覚えってやつで、もしかしたらイジメにあってるの?誰がイジメてるの?と聞き、黙ってると今度は校長先生が来て、イジメにあってるの?って同じ事を聞き、面倒臭いから黙っていると、今度は教育委員会の人だかが来て、イジメにあってるんだね?なんて決めつけるので、さすがに面倒くさくなり学校に行くことにしたのだけれど、本当の理由は図書室の本でした。僕はなにより本を読むことが好きで今でも生活に本は欠かせないのですが、小学校の図書室にあった本は五年生までに全部読んでしまってもう読む本がなくなってしまったから、仕方なく学校には行かず自宅にある父親や母親の本を読んでいたというただそれだけの事なのです。もし小学校の図書室が毎月大量の新刊本を買ってくれたら、大喜びで学校に行ったでしょうが、面倒くさいのでそのことは黙っていました。
そんなこんなで、どこに行ったって独りぼっちの僕ですから、父親同様どこに住もうが変わりはないと思われ、僕は父親の提案に大きく頷いて賛同しましたが、その一方で田舎もいいかなと思っていたのも事実でした。その理由は二つあるのですが、一つは以前に、東京の少年が小中学校で全校生徒児童六人しかいない田舎の学校に転校して、その学校でかわいい少女と仲良くなって云々という本を読んだことがあって、それを思い出したことです。かといって、もしかしたら自分もあの本の少年のように、ちやほやされてたちまちヒーローになるのかも?なんて浮かれたことを夢想したわけではありません。全校生徒千人に近い学校に通っていた僕にしてみれば、小学生男子一、女子二、中学生女子三人だけなんていう設定や、修学旅行の行き先が生徒の希望でどうにでもなったりするところなんかが、おとぎ話のように感じられ憧れただけなのですが、果たして転校してみれば田舎のくせに小学校と中学校は別で、複式授業でもなく、各学年三〇人前後とはいえどの学年にもちゃんとクラスがひとつずつある、つまりは前いた学校の規模を限りなく縮小しただけというその中途半端さに落胆しました。しかも都会からの転校生でちやほやされるかと思えば、わけのわからない彼方の世界からやってきた宇宙人は何を持ち込んでくるやらわからないぞと警戒しているかのように冷ややかな対応でさらにがっかりしたのですが、よくよく考えてみれば背丈が低く小柄のやせっぽっちで、おまけに無口で愛想のかけらもない僕にこそ原因があったのかもしれないと思ったりもするのでした。
もうひとつの理由は天体観測でした。そもそも中学生になって休みが増えていたのもそれが原因で、両親が寝静まった後、マンションのベランダに出て世が明けるまでただ夜空をボンヤリ見上げて過ごしていたら、学校に行く時間には眠くて眠くて起きていられず学校を休んでいただけの事だったのです。とはいえ、さすがに街の灯りとスモッグで見える星は限られており、天体観測といえるような観察はもっぱらプラネタリウム専門でしたから、もし田舎に住めば生の夜空を、いや天の川だって、見たいだけ見られるんじゃないかと思ったからでした。
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英語の書取の課題は毎日ありました。一回提出したら三ポイント貰えて、それは学期ごとの成績に加味されるとのことで、たとえ試験ができなくても毎日地道に取り組んでいればそこそこの成績はつくのだから、となんだかスーパーのポイントカードみたいなしくみを英語教師は熱っぽく語りましたが、そもそも良い成績をとりたいなどと思っていない僕としてはそんな役にたたないポイントカードなど要りませんし、そんな下らない事をしている時間があれば本を読んだり、日の暮れた夜空を見たりしたほうがずっとマシだと思っていましたから、これまで一回も提出したことはありませんでした。前の学校でも似たような課題は出されていましたが生徒数が多すぎていちいち把握できていなかったのか、いくら課題を出さなくても呼び出されてどうこうということはなく、怠け者の僕としては好都合だったのですが、ここでは生徒数が少ない上に他の生徒が羊のように従順で、みんな詰まらない課題にせっせと勤しんでいますので嫌が上にも目立ってしまいます。一度、五段階評定の一でも零でも構わないから放っておいて欲しいと言ってみましたが、件の英語教師は生徒全員にグローバル時代を生き抜く力を付けさせるのが自分の使命なのだと即答し僕は途方に暮れました。無論、今日も地獄の居残りを命じられたのですが、昨日までとは少しだけ気分が違っていました。
この学校は驚いた事に生徒全員がどこかの部活に所属しているのだそうです。前の学校では部活動はしたい人がするもので、していない人の方が多いくらいだったし、部活動ってのはそういうものだと思っていましたので、転校したての頃、必ずどこかに入部するようにとかなり強く言われ困惑しましたが断固拒否し今でもどの部にも入っていません。せっかく授業だのショートホームルームだのが終わってやっと解放されると喜んでいるその時に、やれ野球部だ剣道部だバレーボール部だと早足で教室を駆け出し、アッという間に誰もいなくなってしまう様には今でも違和感を感じます。
今日も気がつけば教室には僕以外誰もいなくなっていましたが、いつもなら必要以上にだらだら時間をかける帰り支度もてきぱきとすませ、ちょうど教室の真下にある一階の理科室にむけて足早に階段をおりました。というのも、今日は絶対にあの流星もどきの正体を見届けてやる積もりでいたのです。椅子を机ではなく窓際の出窓の所に持っていき、窓の方を向いたままノートを拡げて、と準備万端整え構えていましたら、堤防の方へゆっくり歩いていく中年のおばさんと娘さんみたいな二人づれをすごい勢いで追い抜いていく形でいきなりそれが現れました。枯れた生け垣の間を通り過ぎるのはアッという間でしたが、真っ白なシャツと紺色の短パンだけは見て取れました。どうやら流星は正体不明の発光体ではなくこの学校の生徒だったようです。鮮やかに輝いていた真っ白なシャツは学校指定の体操服だと思われました。しばらくするとまた生け垣の間を走り抜けていきましたが、今度はそのつもりで見ていたからかリズミカルに揺れるポニーテールも見えましたから、この学校の生徒とはいっても男子ではなく女子生徒なんだと思いました。この学校に陸上部なんかがあるのかどうかわかりませんが、どこか運動系の部活動の生徒が学校の周囲を走っているのに間違いないと思いましたから、僕は理科室を抜け出して教室に上がり、教室の窓から身を乗り出して見てみました。すると思った通り、その子は校舎の角を曲がって姿を現すと、そのまま校舎にそってまっすぐに伸びている道路をかなりのスピードでこっちにかけてきます。スラリと伸びた細い脚と直角に曲げた白い左右の腕が同じリズムで前後に動き、手足を動かすたびに後ろで一つに結んだポニーテールがそれにシンクロします。僕は極めつけの運動音痴で何をやらしてもまともにできた試しはありませんが、そんな僕が見てもその子の走る姿は美しいと思いました。しかもかなりスピードは出ていると思うのですが、走る背中はピンと伸びたままで、苦しそうに顔を歪めたり息を切らせてゼイゼイいっている様子は微塵もなく、まるで散歩でもしているような涼しい顔で僕の見下ろす教室の前を駆け抜けていきました。
堤防の上に続く土手道は大きく右に湾曲する川の流れに沿うようにR100程のカーブのまま学校のグランドを囲みこみ、そのまま大きな通りに繋がっていましたが、その子は川の流れを左手に見ながら、その土手道を走り抜け、大きな通りまで行くと、土手道をだらだらと下り降り、敷地の周囲を回って校舎の裏道まで戻ってきましたが、土手道に上がって大きなカーブの真ん中あたりまでは、教室を出て廊下の窓から身を乗り出しても校舎の陰になって見えず、注意をして見ていなければ土手道で見失ってしまいそうでした。校庭では野球部が大声を出したり、ボールを追いかけたりしておりましたが、その周回コースを走っているのはその子ひとりで、伴走したり後を追いかけたりする生徒は誰もいませんでした。
僕はその日、その子が周回する様子をずっと飽きもせず見つめていました。
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天体観測が趣味と言えば、なにやら専門的な響きがあるようで、ネットのチャットサイトなんかで初見の人にそのことを話せば決まって、すげぇなあ、とかマニアか?とかの反応が返ってきていましたけど、僕はマニアと呼ばれるほど詳しいわけではありません。お気に入りの正座の名前や位置はいつでも言い当てる事ができますし、それがどういうルートを通って天空を移動していくのかくらいなら解説できましたが、あとはそれほど興味もなく、やっていることと言えば飽きもせずボンヤリ夜空を眺めることだけでした。マニアの中にはどでかい望遠鏡を駆使して新星を発見して得意になっている人もいるようでしたが、そんなことには興味がありませんでした。
ただ、ここの夜空は想像を遙かに越えていました。「無数の星」という言い方は聞いたことがありますが、実際に見たのはプラネタリウムだけでしたから、越してきた最初の夜、大空にちらばる「無数の星」を目にした時は興奮して眠れませんでした。明るい星、暗い星、赤い星に青い星、そして色のついていない多くの星、ありとあらゆる星がキラキラと瞬いているのです。輝く星の位置関係から、やれあそこの星は蛇に見えるとか、いやあっちのあれとこれとこれを結べば山羊そっくりだなんて想像して、天空にさまざまな星座を描いたという星座誕生秘話にしても、スモッグとネオンの夜空しか見たことがなかった僕にはとってつけた作り話のように感じていましたが、こんな夜空を見せられたら僕だってその気になります。
僕が住んでいるこの山村は僕の世界だけれど、本当は日本という大きな国のほんの一部にすぎない。でもその日本という国はじつは地球という大きな星のほんの一部、しかも小さな島にすぎない。さらにこの大きな星であるはずの地球も太陽系という太陽を中心にぐるぐる回っているたくさんの星のひとつにすぎず、さらにさらにその太陽系なんていう星のグループだって、そういうグループが数え切れないくらい集まった銀河系っていうやつの一つにすぎず、ついでにいうとその銀河系みたいな星の集団が宇宙には無限に存在していて。
毎晩、僕は夜空を見上げながらそんな事を考えて、等身大の自分がズームダウンしてどんどん小さくなっていく感じを楽しんだりしていましたけど、だからといって、ああ、なんて僕はちっぽけな存在なんだろう、なんて詰まらない感傷に浸っていたわけじゃありません。そもそも太陽系まではいいとしても銀河系だの、無限大の宇宙だのと言われても理屈ではそうなのかもしれませんが、じっさいに見てきた人はいないわけですから、そんな嘘か本当かわからないような話よりも、空には無数の穴が開いていて夜になると天国の光がその穴から漏れて夜空の星に見えるんだ、とかこの世界は平らでじっとしていて動き出さず水平線のその先はどでかい滝になっているのだ、とかその水平線あたりに行けば入道雲みたいなモンスターが立ち現れて船をひっくり返したりするのだとかの話の方が面白いですし、それでも地球が回っているから、と意地を張るよりは、じっとしている平らな世界の東から日が昇り西に沈むんだよなと思いこんだ方が愉快だと思うのです。
ただ、大きくてバカに明るいから一等星、小さくておまけに暗いから六等星なんていう星の呼び方はなかなか含蓄に富んでいて面白いなあ、なんて思っていました。というのも、明るい暗いと言ってもそれは地球から遠いか近いかという距離感の違いであって、地球からうんと遠くにいれば、眩しいくらいに輝いていてる星だって小さく暗く見えるし、一等星だなんて威張ってる星だって六等星と同じ距離まで引きずっていけば消え入るくらいに小さく見えたりするものです。つまりそれは星というよりは人の見方の話で、人は誰しも一等星なのに周囲の人がその一等星を三等星だ六等星だと言うのは、彼等からの距離の問題だと思っていました。その人に近づき、じっとその人を見ていればどんな人だって輝いていると気がつくはずなのに、人は興味のある人だけに近づき、その他の人を遠ざけて見ようとしないのです。
僕だってまぎれもない一等星です。なのにこんなに遠くに追いやられているから、(否、こんなに遠くにいてみんなに近づこうとしないから?)くすんで見えるだけなのだ。そんなふうにダメ人間なくせにプライドだけは高い僕は、そんなことを思ったりして溜飲を下げたりしていたのです。それが僕にとっての天体観測でした。
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流星ちゃんは一学年下、二年生の女子だとわかりました。前の学校では昼食は自分の教室でてんでに弁当を広げて食べるスタイルでしたが、今の学校ではランチルームと呼ばれる厨房を併設した、校舎とは別棟の建物に全校生徒と教員が一同に会して、合掌頂きますなんて唱えながら同時に食べ始めるのでした。ランチルームの座席は学年ごとに決まっており、流星ちゃんは二年生のエリアに座っていましたから、そうなんだと思ったのです。全校生徒が集まるのですから、これまでも毎日顔を見ていたはずですが、これまではまったく気がつきませんでした。少し距離はありましたが、ちょうど僕が座った席から斜め前でしたので、僕は給食の間ずっと横目で流星ちゃんを観察していましたが、流星ちゃんは無口でした。周りの生徒がうるさいくらいに喋りまくり、黙ってお食べなさいなんて教師に叱られていても、あの子だけはランニングの時と同じように黙々と食べ続けているのです。周囲の笑いに会わせるように微笑むわけでも、え?今なんで笑ったの?と聞いてみるわけでもなく、周囲の生徒達も、ねえねえ昨日なんでラインの返事してくんなかったの?なんて話しかけるわけでもありませんでした。昨日、校舎のまわりを周回している姿を見ていた時にはスラリと背が高いと感じたのですが、食べ終わった食器類を返却口に返す姿は僕と似たり寄ったりでした。
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その日の放課後、僕は教師の許しを得て、一人教室に残り英語の課題をやることにしました。もちろん理科室では流星ちゃんが文字通り一瞬しか見えないからです。僕は英語の課題ノートを広げたまま、教室の窓から身を乗り出したり、慌てて廊下に飛び出して廊下の窓から身を乗り出したりして流星ちゃんが周回する様子を見ました。その日は雲ひとつない快晴でしたが、もう五月だというのに空気は冷たく澄んでいて、西に傾いた日に焼かれて山は黄色に近い赤色に染まっていました。周回コースでいえばグランドの向こう側の土手道のあたりに日が沈みますが、そのオレンジ色の空気の中を流星ちゃんはいつまでも周回を続けていました。
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この学校の子達はお互いを呼ぶとき下の名前で呼びます。女子ならサキちゃんとか、ユウカちゃんとか、男子ならショウタ、リョウヤなんて呼び合っているのですが、前の学校ではいわゆる仲間うちでこそ下の名前で呼び合うこともあったようですが、一般的には名字で、人間関係の近い遠いで呼び捨てにしたり、その名字に君やさんをつけたりしていましたし、まちがっても教師が生徒を授業中に下の名前で呼ぶことはなかったというのに、この学校ではそれが普通でした。教師も授業中に、じゃあユウカこの問題やってみろ、とかショウタ、そんな問題もできないようじゃ話にならんぞ、なんて平気で言うのです。なれなれしいというか、けじめがないというか、こんなんでいいのか?とさすがに僕も最初は驚いたのですが、その理由がわかってもっと驚きました。なんと学校中の生徒の名字は笹木と久利須という二種類しかないというのです。名字で呼んだら誰を呼んだのかわからないから仕方なく名前で呼ぶのだと。
笹木ばかりの小学校と久利須ばかりの小学校とが一緒になって中学校になっているのですが、そんな感じですので保育所から一〇年以上かけて培われた人間関係はすこぶる強固で、喧嘩やトラブルの類は一〇年間でやり尽くされており、あいつにはどうやってもかなわねえという強い弱いの序列だとか、好きだ嫌いだの人間関係は固定化されていて僕の入る隙間はどこにもありませんでした。
まあ、隙間だらけだった前の学校でさえ、どこにも入れなかったというか、入ろうともしなかった僕の事ですから、いつも一人で放っておかれるこの状況はすごく自然な成り行きに思えました。
前にいた学校ではどのクラスにもやたらと明るくてハキハキ物を言い、ルックスも派手で遠目からもあいつだとわかってしまうような子がいました。大概、それは女子でしたが、その子の周りには取り巻きみたいな子がたくさんいました。その中には常にひっつきもっつきな子がいるかと思えば、つかず離れずの感じでその子の様子を伺っているような子もいて距離感はさまざまでしたがほとんどの生徒はその子を中心に回っていました。クラスによってはそんな子が一人でないクラスもあって、そういうクラスはゴタゴタが絶えませんでしたが僕はそんな太陽みたいな子にも、取り巻きの惑星どもにもなりたいとは思いませんでした。その子に冷たくされた取り巻きの一人が泣きながらでもその子から離れようとしない様子だとか、その子に寵愛されてその子同然にキラキラ輝いている様子、それを嫉妬交じりに眺めている他の子達の視線等、クラスの子達の日常をぼんやり眺めていれば退屈せずにすみましたが、そんな中心的な子にも取り巻き連中にも興味をもてなかったのです。でもそんなクラスの感じはこの田舎の学校に来ても同じ、否それ以上で、僕のクラスにもアイドル顔負けな綺麗な女子がおり、クラスの男子はまるでその子の召使いみたいでしたし、女子はその子の好き嫌いで序列が決まっていて、その序列に従ってその子の周りを周回しておりましたが、やっぱりここでも僕はその子だの取り巻きだのが好きになれず、六等星よろしく一人ポツンと教室の端っこで過ごしていました。
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その後、流星ちゃんの様子を二階の教室から見ることが放課後の僕の日常になったのですが、そういえば僕は彼女の名前も(笹木か久利須かどっちかでしょうが)何処に住んでいるのかも知らない事に気がつきました。もし、友人と呼べる人がいれば、さりげなく聞き出すことができたでしょうし、小さな村の事です、名前や住所だけでなく、兄妹がいるかいないかとか、走る事以外で何が好きなのかとか、小学生の頃のエピソードなんかも聞くことができたでしょうが、残念なことに六等星の僕が、これまで無愛想を続けてきたというのに唐突に、ねえねえ、あの子どこに住んでんの?なんて聞いたら怪しまれるに決まっています。かといって名前もどこに住んでいるのかもわからず、ただ見ているだけというのも残念ですから、今日は下校する後をつけてみることにしました。殴り書きした課題のノートを職員室の英語教師の机の上に投げ出して、生徒用玄関で靴を履くと運動部の部室が見える正門付近で待ち伏せました。田舎の事ですから人数は少なくても校区は驚くほど広く自転車通学でさえ通学困難の様子で自家用車で送迎する保護者も少なくありませんでしたから、そんな保護者を待つ生徒に紛れて立っていたのです。すると流星ちゃんらしい彼女がとある部室から出てきました。そのまま正門の方へ歩いて来ると思いこんでいましたから、門柱の陰に隠れて顔だけを出していましたら、正門方面に歩いて来るはずの流星ちゃんはどういうわけか例のランチルームのある建物に入っていき、そのままいつまでも出てきませんでした。
その日、迎えを待つ生徒達の怪訝な視線に晒されながらも最後の一人になるまで粘ってみたのですが、とうとう流星ちゃんは建物から出てきませんでした。もしかしたらあの子は学校に住んでいるのかもしれません。
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次の日も、そしてまた次の日も、僕は放課後居残りをしてさんざ流星ちゃんを観察した後、正門付近で待ち伏せをしましたが、次の日もそしてまた次の日も、流星ちゃんはランチルームの建物に入っていき出てきませんでした。あの子が学校に住んでいるのは間違いないと僕は思いました。どうしてあの子が家に帰らず、学校に住んでいるのか、どうして他の子達はあの子が学校に住んでいるのに何も言わないのか不思議でなりませんでした。何かの事情で住む家がなくなり、やむを得ずしばらく学校に住む事にでもなったのかなと思いましたが、そういえば津波や地震などの大災害で非難を余儀なくされた人達が学校の避難所に身を寄せているとか、災害のあった地域だけでは賄えない人達を遠く離れた自治体の集合住宅で引き受けたなんてニュースを思い出し、事情がそういう事情ならば二年生のクラスで僕みたいに一人浮いている感じとか、どこの部にも属さずに一人学校のまわりを周回している事も頷けるなと思いました。きっとあの子は被災するまでは前の学校の陸上部に所属しており、長距離のエースだったに違いありません。僕がぼんやり夜空を見上げるのが日常なように、あの子にとっては走り続けることが日常なんだと僕は思ったりしました。
放課後だけでなく早朝も彼女は走っていました。僕はいつも始業ぎりぎりに着くように家を出ていましたのでわかりませんでしたが、珍しく両親が街に行く用事があるとかで、いつもよりも早く家を追い出され学校にも早めに着いてわかったのです。野球部の生徒がグランドでキャッチボールをしておりましたが、そのグランドの向こう、薄くもやった朝日の中、土手道を走る彼女を見て、僕は幸せな気持ちになりました。
それ以来、僕はいつもより早く家を出るようになりましたが、朝も放課後も走っている彼女を見ていると昼休みにも彼女は走っているのか知りたくなりました。給食がすむとほとんどの生徒は連れだってグランドに出て、男子はサッカー、女子はバレーボールをしているようでしたが、僕は図書室に行くことにしていました。小さな学校ですので期待などしていませんでしたが、果たして古ぼけた小さな図書室には新刊もまばらで、その他の蔵書も古いものばかりでしたが、僕は逆にその見たこともないくらいの古さに夢中になっていたのです。そんなわけで図書室以外には興味がありませんでしたので、彼女が他の子と一緒にバレーボールをしているのか、それとも走っているのかなんて知るはずもありませんでしたが、僕としては昼休みも走っている方がいいなと思ったのです。だってそうなら放課後や朝だけでなく昼までもあの子を観察できるのです。
給食を食べ終わり食器を返却口に返した彼女の後を追ってランチルームを後にしました。てっきり体操服に着替えるため部室に直行するものと思っていたのですが、驚いた事に彼女はそのまま校舎に入っていきます。入り口を入るとすぐに右に曲がりますから、なんだ教室に戻るのかと思いました。三年生の教室は二階でしたが、一年生は一階、二年生は三階でしたから、そのまま三階への階段を登るのだと思って曲がり角のところで見ていましたら、階段を通り越して廊下を奥に進むので、おや?っと思いました。廊下の突き当たりは図書室なのです。もしかして今日は図書室に行くのかと思ってドキドキしてしましたら図書室手前を左に曲がって消えてしまいました。彼女が消えたのを見届けてから近づき音楽教室と書かれた教室入り口の札を見上げると、その教室の奥からギターの音が聞こえてきました。音楽の授業の時、教室の壁にそって生徒半分ほどの数のアコギが並べてあるのを見て知っていましたが、あの子はどうやらそのうちの一本を持ち出してつま弾いているようでした。しばらくゆっくりとしたアルペジオが聞こえていましたが、少し気持ちが高ぶってきたのか、一度大きなストロークでジャランと引き下ろしたかと思うと、彼女は弾き語りで歌い始めました。聞いたことのないメロディーでしたがリズミカルで早口が特徴のこの頃の流行り歌というよりも、マイナーコードで一音一音の長いブルースっぽい曲でした。澄んだ高い声でしたが歌い方は黙って給食をたべている彼女の姿からはとても想像もつかないくらい力強いものでした。知らない人なら驚いたかもしれませんが、朝な夕なにまっすぐ前を向いて早いピッチで駆け抜ける姿に見ほれている僕には、その力強さがむしろふさわしく思えました。僕はチャイムが鳴り、グランドで歓声を上げている他の生徒達が校舎に戻ってくるまで、図書室前の廊下に座り込み彼女の歌をBGMに、お気に入りのレトロな百科事典のページをめくってすごしました。走っている彼女をいいなと思い、走っている姿みたさに昼休みも走ればいいのにと思っていた僕でしたが、歌う彼女も素敵だなと思いました。
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僕の父親はあまり喋りません。母親は父親よりは喋りますが本を読むのが好きで学校から帰ると決まってソファで本を読んでいるので黙っている事の方が多いです。そして僕も頭の中ではもう一人の自分といろんなことを喋っていて、それがいつも頭の中をぐるぐるまわっていますが、それを父や母に話して伝える事はありませんから、結果家の中で人の声はあまりしません。パソコンやタブレットはありますが、テレビを見るとバカになると父親が主張して譲らないので僕が小さい頃から家にテレビはありません。その代わりどの部屋にもスピーカーが据えられていていつも音楽が流れています。クラッシック、ジャズ、ロックにレゲエ、アップテンポのダンスミュージックから演歌、音頭、はては見知らぬ大陸の民族音楽にたるまで、ありとあらゆるジャンルの音楽が常にどこかで鳴っているのが僕の家なのです。それは夕食の時もそうでたいていは音楽を聴きながら黙って食べています。今日もボサノバのCDがかかっていましたが、珍しく母親は饒舌でした。
あんたの学校ってリョウがあるんだってね?
そう母親は僕に向かって切りだしました。隣りでハンバーグを口まで持って行っていた父が箸を止めて、リョウってあのリョウかい?と問い返すと、父と母はそれだけでわかっているらしく、母が、そうあのリョウよ、と応え、父が、へえ、リョウがねえと繰り返しました。母は僕に聞いたはずなのに、僕の答えは無視してどうして父親と話してるだろうと不思議に思いましたが、それ以上にリョウという音は「陵」とか「霊」とか「霊廟」みたいな単語を連想させ、校内に神社みたいな建物があるのかと思いましたから僕が、リョウってなに?と聞きますと、キシュクシャとも言うな、と父親は言い、じつは自分も子どもの頃キシュクシャに入っていたのだと言いました。リョウをキシュクシャと言い換えられたってわからない者にはかえって疑問が深まるだけだとぼやくと、リョウは寮で、キシュクシャは寄宿舎だと父親は説明してくれました。学校が家から遠すぎて通えない生徒は学校の敷地にある建物に寝泊まりして勉強するのだが、その建物の事を寮とか寄宿舎とか呼ぶのだと。
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父さんの村には中学校がなくってなあ、中学生になると山を越えた隣りの大きな村の中 学に進むんだけど、冬になると雪で通えないからその間だけ寮に入ったんだ。一ヶ月に 一回、土曜日には爺ちゃんが馬ソリで迎えに来てくれるんだ。雪が多いからな、車なん かよりもずっと便利なんだよ馬ソリってやつは。月曜日の朝早くにまた馬ソリで学校ま で送ってもらうんだけど、なんだか寂しくってなあ。
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父親の生まれ故郷は北海道のど真ん中にある山奥の村で、その山村で代々農業をしながら農閑期の冬には猟のため山にも入っていたのだというのは何度も聞かされた話でしたが、寮に入っていたなんてのは初耳でした。父親の両親は僕が生まれた時にはとっくに亡くなっていて、会ったこともありませんでしたし、親戚もいないからってことでその村にも行ったこともありませんでしたから、その父親の話には随分驚きました。父親は母に触発されたみたいで、珍しくお喋りになって寮生活の思い出をぽつりぽつりと話していましたが、それが落ち着くと、その寮があんたの学校にもあるって、今日PTAの会で聞いてびっくりしちゃった、と母親が最初の話を蒸し返しました。前は一〇人前後寮生が居たらしいけど、今は女子一人しかいなくて、その子がいなくなったら後は廃寮になるらしいよ、と。しかし、学校のどこを見渡しても人が寝泊まりできるような建物はありませんし、そもそもそんな名前聞いたことありませんから、何かの間違いじゃないの?と僕が言うと、母親は、ほら、あの給食をみんなで食べるところがあるでしょ、あそこの二階がそうなんだって、と寮の場所をそんな風に説明し、僕は驚きのあまりむせかえってしまいました。
そうです。やっぱりあそこはあの子の家だったのです。ランチルームの二階に住んでいたのです。
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寮生活ってのもなんだか憧れるわね。
そうかい?、まあ、慣れればなあ、良いもんだけどなあ。
でも、一人じゃあねえ、ちょっと寂しいわよね。
そうだなあ、一人じゃあなあ。
ちょっと、あんたも入れてもらえば?
おお、いいなあ、じゃあ父さんがお願いしてやるか
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そのときから僕は、もしも僕が寮ってところに入って、あの子と一緒に生活したら、なんていうことばかりを考えるようになりました。いつもそばにいて一緒に食事をしたり、一緒に勉強をしたり、舎監の先生の部屋で一緒にテレビを見たりできたらどんなに楽しいだろうと幸せの時を思い描いてうっとりとしていました。あの子が英単語の書取をやらなきゃといえば僕も我慢してやるけどなあと思ったり、あの子と一緒にテレビを見るのならバカになったっていいんだけどなあと思ったり、でも先生の部屋の炬燵で隣同士になったりしたら緊張するよなあとにやけたりもしました。とはいっても愛想がなくて気の利いた冗談のひとつも言えない退屈な人間だからこそいつのまにか空気みたいに扱われているっていうのに、そんな僕が一緒にいたからといって、あの子が楽しいと感じてくれるはずないじゃんとか、先輩数学のここがわからないんですけど、とあの子の方から教科書を広げられたとしても、阿呆な僕が教えられるわけないじゃんとか冷静になって考えたらわかりそうなものです。それに今は僕が一方的にあの子を見ているだけの事で、友達でも知り合いでもありませんが、もし一緒に生活するようになったら、僕の正体がばれ、気持ち悪い人、退屈な人、どうでもいい人、どれだかわかりませんが、今よりは評価を下げることは間違いないのです。なのに、どういうわけか妄想の中の僕は常にフレンドリーな笑顔を絶やさない陽気な兄貴で、よう、ちゃんと宿題やったのか?なんてあの子の肩を叩いてみたり、わからない問題あったらなんでも教えてやっからもってこいよなんて自信満々で、しかも、毎日ランニング頑張ってるな、走ってる時のおまえってちょっといい感じだぜ、なんてさりげなく誉めて、ウィンクをしたりなんかしてるのです。あの子もあの子で、学校での様子とは正反対で、私だってちゃんと宿題やってますよぉ、なんて頬を膨らませたかと思えば、あっそうだ理科がわかんないの、と上目遣いに僕を見上げたり、やだ先輩見てたんですか?なんて頬を赤く染めたりと忙しいのだが、そんなイメージが次から次へと湧いてきて、ふと気がつけば授業中でも、もし寮で一緒に生活するようになったら、なんて事を夢想しにやにやするのでした。
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ある晩のこと、いつものように僕は二階の僕の部屋のベランダから夜空を眺めていました。父親も母親ももう寝静まっているようでした。ひさしぶりに晴れ渡り一片の雲もない夜で、月明かりで照明なしでもグランドで野球ができそうでしたが、いわゆるネオンだけでなく街灯なんていう地上の光源の照り返しさえない夜空には、天の川がくっきりと見て取れました。天文学の本には、銀河系の端っこにある夏に銀河系の中心部を見る格好になるから天の川が太く星の数も多いのだ、なんて説明してあるのですが、僕は、そんな理屈よりも地上を映したように漆黒の闇にきらめく川が流れているという目の前の映像に魅力を感じるのです。
僕は七夕に逢瀬を楽しむ織り姫と彦星さながらに、あの子と一緒にあの曲を演奏することを夢想しました。僕はハーモニカやリコーダーでさえおぼつかなく、楽器演奏なんて呼べるような芸当はできませんが、家にあるありとあらゆるジャンルの音楽を聴いて育ってきましたから、あの子が弾いていたブルース調の歌ならバイオリンがあうなと思いました。もちろんクラシカルな、かちっとした演奏ではなく、カントリーっぽい崩しのアドリブです。それを間奏に入れたりメロディとハモッたりしたら、あの子の声ももっと映えるのになあと思ったりしたのですが、そのとたん僕は、音楽室でギターを抱えるあの子の少し後ろの机に腰をかけ、弾いたこともないくせにバイオリンを顎に挟んでいて、あの子の刻むリズムに合わせるようにアドリブを入れるのです。あの子は驚いたように僕を振り向き目があうのですが、手を止めようとするあの子に、そのまま続けてと僕が目で合図をすると、すぐに事態が飲み込めた様子のあの子はわかったと軽く頷いて、いつまでもいつまでも演奏を続けるのです。知らない女の子に声をかけたことなんか一度もないくせに、イメージの中の僕はきさくな少年で、演奏が終わると、君ギターうまいね、なんてさりげなくあの子を誉めたりするのだけど、あの子もランチルームで見るときはいつも能面みたいに無表情なくせに、先輩こそバイオリン弾けるんですねえなんて微笑んでみせ、もう一曲どうですか?なんてこんどはアップテンポの曲をスリーフィンガーかカーターファミリーピッキングかでやりだして、僕もピッチカートなんかを交えながらそれに応じるのです。
そんな妄想にうっとりとしていた僕は、急にそんな気分になって、机の引き出しにしまっていたナイフを取り出して久しぶりに研ぎました。十四歳になった去年の秋、父親から手渡された家伝のナイフです。これまでも定期的に取り出しては研いできましたが、こっちに来てからは初めての事でした。電気を消して真っ暗になった部屋から月明りを頼りにベランダに出ると砥石に水を垂らし、父親に教わったように角度に注意しながら、手前から向こうへ、手前から向こうへ、手前から向こうへと何度も何度も同じリズムでナイフの歯を砥石に擦りつけるのですが、不思議な事に何度も何度もその動作を繰り返していますと冷静だった気持ちが少しずつ高揚してくるのです。あの子が奏でるリズムアンドブルースに僕のバイオリンの伴奏が絡む音まで聞こえてきて、ナイフを研ぎ出すそのリズムに二人の紡ぎ出す軽やかな音がシンクロし、それに砥石の上で水が跳ねる湿った音が加わって頭の中はいろんな音で賑やかでした。そしてその賑やかさはやがて頭いっぱいで溢れんばかりになると、一瞬のうちに全ての音が消え去り静寂が訪れ、僕の身体はベランダを離れ浮き上がり夜空を舞ったかと思うと、そのまま成層圏を突き抜け一人群青色の宇宙を浮遊するのです。
そんな心地よい感覚に耽っていた僕でしたが、気がついたらもう朝になっていました。
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翌日も、朝走っているあの子を見て、ランチルームで食べる様子を盗み見て、昼の歌声を廊下で聴き、放課後二階の教室からじっと周回するようすを眺めた後、すっかりいい気分になって下校していると、ランチルームの二階、つまりはあの子の住んでいる家の窓に明かりが点いているのが見えました。ああ、あそこがあの子の部屋なんだと思い、僕はしばらく立ってみていたのですが、ふいに現れた人影が、着ていた制服だか体操服だかを脱ぐ様子が窓のレースのカーテン越しに見え、ただ窓を見上げていただけで何をしたというわけでもないというのに僕は無性にナイフが研ぎたくなり、その場から駆け出し家まで走って帰ると二階に駆け上がって昨日のように夢中になってナイフを研ぎ続けました。
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その日から、僕はレースのカーテンが引かれているあの子の部屋の窓に近づけなくなりました。僕はわざと迂回して遠目にあの子の家を見ながら登下校をするようになりましたが、ある日の朝登校したばかりの僕は、あの子の家の屋根に一羽の白鷺がとまっているのを見ました。まるでその鷺は道ゆく人にお辞儀をするように頭を上下させ、時折短く高い声で鳴いていましたが、それを見たとたん僕は、白鳥座の逸話を思い出しました。スパルタ王の娘レダを見初めたゼウスが美の神アフロディーテの力を借りて白鳥に姿を変え、レダの足許に舞い降りたら、自分のところに舞い降りた白鳥に感激したレダがその白鳥を寵愛し、やがて二つの卵を産んで、それが双子になったというあの有名な話です。白鳥でなくていいから、せめて彩り鮮やかな小さな鳥になれたらなあ、と思った瞬間、僕は空に浮き上がり不器用に翼を動かしあの子の部屋の窓まで飛んで行きました。窓のガラス越しに「おはよう」と言った積もりなのに、僕に聞こえてきたのは小鳥のさえずりでもどかしい気分でしたが、そのさえずりに気付いたあの子は窓を開け、うわあ可愛い小鳥、なんて笑って僕を部屋に招き入れてくれます。ほうら肩に止まってみて、と自分の肩に導いてくれるので、肩に止まった僕があの子にキスをするように頬をついばみ、インコばりに人の声で「かわいいね」なんてささやきますと、あの子はくすくす笑いながら頬を赤らめるのでした。
あの子の笑い声に包まれながら青い宇宙でいつまでもメリーゴーランドに揺られているイメージを僕は早朝の空に思い描いていました。
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最近の僕って、しょっちゅうあの子の事ばっかり考えてるなあと思いました。好きな本を読みあさり、疲れたら夜空の星を眺めるのがすべてで、それさえできれば幸せだった僕の日常は、流れ星みたいなあの子を見たときから変わりはじめ、そして今は、走るあの子をながめ、給食を食べるあの子を盗み見ることにすり替わり、あの子の部屋の窓に憧れて、あの子と一緒に楽器を演奏したり、寮で一緒に暮らす妄想は、僕を置いてけぼりにして勝手に走り出していました。じっとして動かない地面の、はるか上空を太陽や月や、小さな穴から漏れ出る天国の光が動いていくのだと信じていた人々が、動いてるのは中空じゃなくってお前達の立っている地面なんだぞと告げられ戸惑ったように僕はパニックになりました。動いているのは恒星や惑星や衛星どもだと信じていたのに、気がついたら、いつのまにか、動いていたはずのやつらは止まっていてじっとしていたはずの僕一人がぐるぐる回りだしていたのです。そう思ったとたん僕は寂しくなりました。退屈していても辛いことがあってもその本を読めばすぐに全てを忘れられたお気に入りの本を読んでも、星降る夜空を見上げても気持ちが落ち着かないのです。どこか心が空疎な感じで時々息苦しくなったりもします。そして生まれてこの方、ずっと友達なしで過ごしてきて、それでも僕は一人ぼっちだなあと感じたこともなく、どうしてみんな好きでもない人といやいや一緒にいるのかさっぱりわからなかったのに、僕は一人でいることが辛くなったのです。
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一人でいるとさ、なんだかすごく寂しいんだよな、君はそんなことない?
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そう誰かに聞いてみたいのです。いつも一緒でなくていいんです。僕にだって望めば僕の問いに答えてくれる人がいるんだという事実、それさえあれば寂しくてもなんとか生きていけるような気がしました。もしその人が友達と呼べるような特別な人なら言う事ありませんが、そうでなくても、その人が、君と一緒にいると楽しいよ、とでも言ってくれたら、もうそれだけで強くなれる気がしたのです。
もちろんその人とはあの子のことでした。ネットさえあればどこに住んでも仕事ができる父親みたいに、どうせ独りぼっちなんだからどこの学校に行ったってかまやしないさと思ってこの学校に転校してきたくせに、僕はもうこの学校以外では生きていけないとも思っていました。
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僕がこれまで読んだ本の中で一番気に入ってる出会いは、男の子がベンチだかに置き忘れられた本を手にとってみたら紙切れが挟んであって、なんだろな?と読んでみると替え歌の歌詞かなんかであんまり出来が悪いのでゲラゲラ笑ってたら、持ち主の女の子が現れて勝手に読まないでよかなんか言って怒っちゃってみたいなやつです。出会いは最悪だったのですが結局二人は仲良くなっちゃっていい感じになるんですけど、最初が最悪な分、最後が印象的でした。他にも困ってる女の子を男の子が助けたことで仲良くなって、とか、廊下の曲がり角でぶつかってお互いゴメンゴメンとか、趣味や好みが同じでとか、もともと知り合いだった人と思わぬところで出会ってビックリしたとか、いろいろありました。僕は恋人は言うまでもなく友達さえいたことがなく、女の子を好きになったことさえありませんが、だからといってそういう恋愛小説っぽいお話が嫌いなわけではありません。剣道や柔道をしたことがないのにやたら格闘ゲームにはまる子みたいなものだと思いますが、そんなお話を読んで思ったことは、きっかけなんて何でもよくって、仲良くなる二人はどんなきっかけでも仲良くなれるんだなあということです。そりゃこんな冴えない僕だって、これまで隣りの席の子が消しゴムを落としたから拾ってあげたりしたこともありますが、そのことをきっかけにして仲良くなり、ねえねえ今度の日曜日にさ、あの映画見にいかない?え?あの話題の?いいねぇ行こう行こう、なんて盛り上がり、気がついたらあいつらつきあってるんだって、なんて噂になっていて、なんて事は微塵も起こらず、ハイ消しゴム、ちょっとお勝手に触らないでよ、で終わりましたし、読書好きでしょっちゅう図書室で会う女の子もいましたけど、あんたさどんだけ本好きなのよ、なにいってんだよ君の方こそ読書オタクじゃん、なんてお互い様で誉めあい、それがきっかけで仲良くなってなんてことにはなりませんでしたから、ようするに惹かれあっているのかどうか、物理的に会話をしたからとか、恋心を綴った手紙を受け取ったからとか、ラインで毎晩絡んだからとか、そんな事はなくっても目に見えない何かが二人の間に飛び交っているというか、繋がる周波数を持っていたとか、そんな何かがないとどんなきっかけがあったとしても、それ以上は発展しないのだと思ったのです。
だから僕は廊下の陰に隠れていてあの子がやってくるタイミングを計って意図的にぶつかってみても駄目なものは駄目だと思っていましたし、もし僕があの子と仲良くなれるのなら何をしなくてもそうなっていくのだと思っていました。
でも、いくら無愛想で無口な男でもパッと見、目を引くような容貌でもあればその可能性があるでしょうし、たとえ不細工でも勉強ができるとか、運動で目立っているとか、楽器の演奏ができるなんて特技があれば話は別ですが、それもこれも何もない僕ですから、いくら心で願っていたって駄目なものは駄目で、気持ちが届くはずなんかないさ、と呟いて苦笑いして済ましていたのですが、その一方ではそれでも一度くらいなら話せるんじゃないかとか未練がましい事を考えたりもしていました。そうです一度でいいんです、一度気持ちが通じたなあと思える瞬間があればそれで充分だと思っていたのです。
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そんな僕に夢のような出来事が起こりました。給食当番の時の事でした。ランチルームでの給食配膳は各学年二名ずつの六人の当番が一週間を担当するらしいのですが、僕は給食当番など小学生以来で、何をどうすればいいのかわからず厨房前の配膳スペースでまごついていたのですが、もう一人の三年生女子はいつも僕を小馬鹿にしたような目で見るバレー部の子でしたが、まごつく僕には無関心でさっさと何かの作業を始めてしまいました。すると後から来たらしい下級生の女子が様子を察したようで「○○先輩、ご飯をよそう係お願いできますか?」とさりげなく指示を出してくれます。炊飯器からどでかいボールに移された山盛りのご飯をしゃもじでよそっていく作業でした。このくらいかなと勘でよそっていた分量はどうやら多すぎたようで、もう少し少な目にしないと最後足らなくなりますよ、とその子にアドバイスされたりしましたが、なんとか生徒教員、およそ一〇〇名分のご飯を無事よそい終わりました。ちゃんとお礼を言っとかなくっちゃと思いましたが、
同じクラスの子なら、どうせ僕が何を言ったって反応ないのは見えてましたから、会釈もせずに誤魔化してたでしょうが、見ず知らずの下級生ですからそういうわけにもいかず、どもありがと、おかげでちゃんとできたよ、と声をかけるとその子は、いいえ私はなにも、わからない事があれば何でも聞いてください、とお辞儀をして応えてくれました。作業中は三角巾、マスクにフルオーバーのエプロンと完全武装で誰が誰だかわかりませんでしたが、マスクと三角巾を取ったその子を見ると、なんとあの流星ちゃんでした。作業を無事終えてほっとしていた僕は、驚く事実に凍り付いて青い顔で自分の席に逃げ帰ったのですが、給食を食べていてあることに気がつきました。
あの子、僕の名前を知っていた……?。
未だに僕はあの子の名前を知らないというのに、あの子は僕の名前を知っていたのです。そう思ったとたん、僕は舞い上がってしまいその後どうやって給食を食べたのか、どんな気持ちで放課後、家に帰ったのか思い出せないくらいでした。
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願いというのは通じるものです。そもそも僕は霊感は強い方で、前の街に住んでいた頃、学校に行くのにバスに乗ろうとしたら母親が僕の名前を呼んだような気がして乗るのをやめた事があります。普通なら空耳だろとそのまま行ってしまうところですが、どうにも気になったので家に戻ったら、家から少し出たところでバス停に向かう母親に会い、どうしたの?って言ったら、あんたこそどうしたのって聞き返してきて、いやさっき母さん僕を呼んだでしょ?だから戻ってきたんだよって説明したら、青い顔で絶句したんです。それもそうです、家からバス停までは徒歩で一〇分くらいの距離で、家から母親が僕の名前を叫んだからといって声が届くような距離ではありません。今日は午後から大雨になるっていうのに傘持って出なかったからあわてて追いかけてきたのだと母親は言いましたが、僕の名前を大声で叫んだりはしていないと言いました。きっとテレパシーっていうのでしょうか?そういうので僕は母親の気持ちを感知したのだと思います。他にも似たような事が何度かありましたから、僕の霊感というのか第六感というのかそういうのは人よりも優れているという自負がありました。きっとあの子も同類の人間なんでしょう。僕らはお互いに惹きあってるんだと思いました。あの子にも僕の好意は通じていて、それがあの子に僕に興味を持つようにし向けていたのだなと。もしそうでなかったら学年も違うのに僕の名前なんかいちいち覚えているわけがありません。
明日の給食の時に、さりげなくどうして僕の名前を知っているのか聞いてみようと思いました。あの子は恥ずかしがって本当の事は言わないでしょうが、そんなことはもっと仲良くなってから聞き出せばいいことで、明日のそれはあくまできっかけで、それでいろいろあの子と話すことができればそれでいいのです。
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次の給食当番の時、僕は勇気を振り絞って尋ねてみました。完全武装だと露出しているのは目だけですから思ったよりも素直に声がでました。
ど、どうして、僕の名前知ってたの?
もしかしたら恥ずかしがって、ええ?いやあなんとなくですよぉ、と誤魔化すとか、誤魔化しきれずに、どうしてって言われたってぇ、と顔を赤らめるとかかな?と思っていましたが、あの子の答えは予想外でした。
だって、先輩は有名人ですからね。
マスク越しでしたから少し聞き取りにくくありましたが、あの子はたしかにそう言いました。有名人?この僕が?どこをどう押したら有名人になるんだ?この学校に越してきてもう二ヶ月以上経つのにクラスの誰ともうちとけず、友達と呼べる子の一人もできず、みんなが部活動に勤しんでいる中で一人部活もせず、成績はこれ以下はいないってほど最低で、いつも教師から手の掛かる面倒くさい子だみたいな言われ方している僕のどこが有名人なのか、その時はその子の言った意味がさっぱりわからず、仕方なくそのまま終わりまで黙って作業をしたのですが、給食を食べ終わった頃、あ、そういう意味かとわかって落ち込みました。有名人といえば聞こえは良いですが、要するに他学年にまで聞こえた駄目人間ってことです。僕にご飯をよそう係をやって下さいと切り出したのも、戸惑っている転校生への親切というよりも、この駄目人間で有名な先輩にはこのご飯よそりくらいしかできないだろうと見切っての事だったのでしょう。どんなに鈍い僕だってそれくらいの事はわかります。情けないやら悔しいやらで涙がこぼれそうになりました。陰でさんざん小馬鹿にされていたのも知らず、手前勝手に惹きあってるだとか、霊感が強いからとかテレパシーがどうしたとか妄想ふくらませていたのです。そう思ったとたん、それまであの子と口をきけて浮かれていた甘い気分はどこかに吹き飛んでしまい、僕は頭にカアっと血が上ってしまいました。
気がついたら僕は音楽室の入り口に立って、ギターを弾くあの子の後姿を睨み付けていました。あの子はいつものブルース調のあの歌を歌っていましたが、僕の気配に気がついたみたいで、演奏をやめて振り向きました。きっと僕はずいぶん怖い顔をしていたはずです。怒鳴り散らしたい気分で、これまでの人生で一番ってくらいの怖い声を出したはずだったのですが、実際聞こえてきた僕の声は、小さくてしかも震えていました。ねえ、僕ってそんなに変かな?。そう僕が切り出すと、あの子は僕の顔の表情や切り出した言葉から怪訝そうな表情を見せましたから、だって、僕って有名人なんでしょ?と続けるとやっと意味がわかったようで顔色を変えました。
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先輩ごめんなさい、そういう意味じゃないんです。
うそ。馬鹿だし変わり者だからっていう、そういう意味でしょ?。
いや、そうじゃないんです。
じゃあなに?
じつは私、
私?
憧れてて。
は? え? 憧れてる? て?
ええ、ずっと前から。
ど、ど、どゆ事??
実は、いきたい学校があるんです、前から絶対行ってやるぞって思ってて。
…………ガッコウ?
そうです、あの、先輩が前住んでたところにある学校ですよ。
…………ガッコウ?
はい。
…………ガッコウ?
はい。
そ、そっちかい。
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あの子は進学を希望しているという私立学校の名前を口にしました。確かにそれは以前僕が住んでいた街にあって、スポーツには縁のない僕でさえよく知っていた名前の学校ですし、実際何度もその学校の前を通っていました。駅伝の全国大会で何度も優勝したことのある有名な陸上部のある高校でしたが、あの子はその学校に憧れていて、そこに進学するつもりだと言いました。僕がここに転校してきた時にあの街からの転入だと紹介があって、いつか一度話を聞いてみたいと思っていたのだと話してくれました。
なるほど、それで僕の名前を覚えてくれていたんだ、とそのことには納得しましたが、それでもまだ違和感は残っていて、先輩は有名人ですから、と表現したニュアンスとは別物じゃんっていじけていましたら、あの子もそれに気がついたみたいで
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そりゃこんなド田舎にそもそも転校生なんてまずいないし、その転校生が来ただけで も大騒ぎなのに、聞けばとんでもない大都会からだから有名人にならない方がおかしい でしょ?
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と補足をしてくれました。
都会からの転校生だから有名人になった、というのは事実だろうと思いましたが、それでもまだ、都会からの転校生のくせにとんでもない駄目人間で、そっちでも超有名っていうのもあるんだろうなという気分も残ってましたから、それを言うとあの子はこう言いました。
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そういうこと言う人もいますよ、でもそういう人ばっかりじゃないと思いますけどね。
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なんだかわかったようなわからないような話だったので、聞き返すと、こう説明してくれました。 勉強さっぱりで部活もしないしいっつも一人でいるから駄目人間なんだと思うんでしょうけど、その一方でどうして勉強できないのに平気なのかな?って思うんですよみんな。だってみんな先生にこのままじゃ高校行けないぞって脅されただけで青くなってるってのに先輩は平気な顔してるでしょ?、部活だってそうですよ、みんな部活してるけどじゃあ全員が運動好きかというとそうじゃないです。したくないけどやってる人もいるんですよ。みんなやるのに自分だけやらないって勇気いりますからね。でも先輩はみんながやってるのにやらないじゃないですか、それはある意味凄い事なんですよ。だからみんな駄目人間だとか言いますけど、とことん馬鹿にしてるのとは違うんですよね。尊敬とは言いませんが、どこか怖がってるというか、もしかしたら凄い奴かもみたいな気持ちがあるから気軽に絡めないんだと思いますけどね。
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やっぱ変な奴なんじゃん、って僕が下唇をむいてみせると、まあそういう言い方もできますけどね、と言ってあの子は吹き出して口許を両手で覆いました。あの子が笑っているのを初めて見た僕は、ああ、この子こんなふうに笑うんだと妙に感心したりしました。いじけた振りはしたものの、最初の頭に血が上った感じはもうなくなっていました。
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僕の普通はみんなの驚きで、みんなの当たり前は僕の苦痛で、要するに僕の常識は世間の非常識であることを僕はこれまでの人生の中でなんとなく感じていたのですが、面倒くさいから放ったらかしにしていた勉強の事とか、やりたくもないのになんでやらないといけないの?と鼻からやる気のなかった部活動の事とかを、凄い事だなんて言われても戸惑うばかりで、ますますみんなの考えている事がわからなくなりました。
九〇点の答案用紙を見てやった勝ったとはしゃぐ九五点の子を見るのも、九五点の子にからかわれていじけている九〇点の子を見るのもいやでしたが、それに追い打ちを駆けるように、入試ではわずか一点の差で合否が決まるのだからもう五点差なんてのは致命傷になる、なんてしたり顔で話す教師にもうんざりしていました。そもそもテストで知識の量や理解の度合いを計ることはできないと思いますが、たとえ計れたとしても、知識の量を自慢しあったり、較べあったりしても何の意味もありません。較べあったり競い合ったりすることでレベルアップしたり力がついたりすると言う人もいますけど、僕は較べたり競い合うことで、知ることの楽しさは損なわれると思っています。僕はどうしてもわからなかった分数と小数点の理屈が一緒なんだとわかった小学六年生の時、わかった事がすごく嬉しくて、隣りの席の男子にそのことを熱く語ったのですが、その子は興味なさそうにそんなこと誰でも知ってるよと言い捨てました。誰でもできる事だって喜びはあるのですが、誰にもできないことができるのは価値があっても誰でもできることをやっても何の価値もないことのようにみんな言います。僕も走る事は決して嫌いじゃありませんが、競争するのは嫌いです。走った後は爽快な気分になりますし昨日より快調に走れてうれしかったりするのですが、教師はみんなよりも遅いから駄目だと言い、もっと早く走れと言います。
だから僕は学校の勉強や部活動が嫌いなんです。でも小さい時から好奇心は旺盛で、興味を持ったことはとことん追求する質ですし、もっともっと知りたくてたくさん本を読んできましたが、言い換えれば知りたくもない事は知りたくありませんから、知りたくもない事を強制されると苦痛なんです。ただそれだけの事なんです。知りたい事を知りたいように、やりたいことをやりたいように僕は、あの子と話すことを楽しいと思いましたし、もっともっと話したいと思ったのです。
その晩、僕はあの子と話せた事がうれしくてうれしくて、鼻歌まじりにナイフを研ぎました。いつもならいつのまにか気分が高揚して宇宙まで飛び出していっちゃいそうになるのに、その晩は逆で、研げば研ぐほど弾んで叫びだしたくなるくらいだった気持ちが抑制されて落ち着いたものになりました。僕は時折夜空を見上げながら、あの子の笑い声を聞きながら朝方までナイフを研ぎました。
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翌日も僕は給食を食べ終わると音楽室を訪れました。先輩、また来たんですか?なんて嫌な顔されると悲しいので母親から例の学校の情報をたんまり仕入れておきました。陸上部の生徒は地元の生徒はゼロで、例外なく全国から集まっているから全員寮生活しているようだとか、文武両道が学校の方針で走るのが速くても勉強さぼってる子は試合に出れないらしいとか、寮の食事の準備も部員が交代で寮母さんを手伝っているらしくて、しょっちゅう近所のスーパーで買い物してるところを見ていたとか、母親から仕入れたネタをまるで僕が見聞きした事のように話して聞かせると、わざわざ教えに来てくれたんですか?ありがとうございますとお礼を言われてしまいました。
あの子は長距離走にかける情熱みたいなのをいろいろ話してくれたのですが、どうもその口振りからすると、この地域ではなかなかに有名なランナーのようでした。学校に陸上部がないから一人で走っているけど、去年は県の大会で入賞したので、この夏の大会では優勝をねらっているのだそうです。記録次第では授業料・寮費免除の特待生で進学できるかもしれない。今も無理をすれば自宅から通学できない事もないが、あえて寮生活をしているのも進学後の高校生活を考えての事だとも話してくれました。
走ることは嫌いじゃないけど競争させられるのが嫌で走る事もしなくなった、という例の考えかたをあの子に話してみました。あの子の一番好きな走る事をそんなふうに言われて機嫌を損ねるかな、と思いましたが、全然そんな感じはなくて、自分も競争がしたいんじゃないんですよ、とあの子は答えました。自分の可能性を追求してみたいだけなのだと。選手はそれぞれが自分と相談したり喧嘩したりしながら自分を追求し、その結果をレースで表現している。大事なのはあくまで自己ベスト。自分を越えられるかどうかなのだ。自己ベストを出しても負ける時はあるし、自己ベストに遠く及ばなくても相手次第で勝つときは勝つのだから、そんなことに拘っているのはあんまり意味がない。だから、たとえ自分より着順が悪かろうが良かろうが、自分は全ての選手に敬意を抱くし、他の選手もそこは同じだと思うと。
本気で取り組んだことのない人にはわかりませんよ、なんてあしらわれるのも覚悟していたのに、なんだか僕が考えていたことに近いような気もして、やっぱり僕たちは周波数が近いんだわと嬉しく思いました。そういえばあの子はいつも誰とも競わずに一人で走っています。作家が自分と格闘しながら考えて考えて考え抜いて自分にしか書けない物語を
編み出すように、あの子は走ることであの子だけの物語を紡いでいるのかもしれません。
僕は次の日も、そのまた次の日も給食を食べ終えると音楽室に行ってあの子と二人だけで話をしました。できれば朝も放課後も話したかったのですが、回遊魚みたいに走ってないと死んでしまうあの子の事ですからそれは我慢していました。あの子はギターを抱えて、適当にアルペジオで弦をつま弾き、頷いたり笑ったり相づちを打ったりしながら僕の話を聞き、話が一段落して会話が途切れるとハミングでいつものブルースをやりました。無愛想なはずの僕がぺらぺら軽薄に喋りまくっていたように、無口で僕の話を聞いているだけと思いこんでいたあの子もよく喋りました。先輩って結構お喋りなんですね、なんて含み笑いをするので、僕も、いやいや君の方こそ、てっきり無口なんだろうなって思いこんでたよ、と返しますと、だってもう話す事ないですもん、とあの子は言いました。もうって何よ、と聞くと、保育所の頃からずっと一緒ですよ、今更何を話すの?って思うけど、みんなよく喋ってますよね、なんて苦笑いをしていました。
あの子は笹木という名前ばかりの小学校出身でしたからやはり笹木さんでした。下の名前は成美。通称はなっちゃんだそうです。じゃあ、なっちゃんって呼んでもいいの?と僕が言うと、学校の人はみんなそう呼んでますから、という言い方でOKをくれました。
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ねえ、なっちゃん、よかったら僕と友達になってくれない?
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調子にのった僕の口から、とんでもない科白がするりと流れ出て、しまったと一瞬焦りましたが、なっちゃんは、ギターの弦をつま弾いていた指を止めて笑いました。
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毎日こうやって昼休みにお話して、なっちゃんなんて呼んでるんだから、どう考えても 友達なんじゃないですか?
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あの子と友達になりたいという願いが叶った嬉しさで僕は元気になりました。朝、時計が鳴ってもベットの中でぐずぐずしていたのに今は時計が鳴らなくても飛び起きていますし、よたよたと重い足を引きずっていた登校中も、今は気がつけばマーチを歌っていますし、走り出しているときもあります。それまで好き嫌いが激しく食べ残すことも多かった給食は連日完食です。無論、ナイフはしょっちゅう研いでいます。あの下らない英単語の書取も毎日欠かさないようにしました。これまで高校進学なんてめんどくさい、中卒で充分だと思っていたのにどうしても進学したい高校ができたのです。でも、今の学力ではどう逆立ちしても無理なので、進学のために勉強しようと思い立ちました。精神は研ぎ澄まされて意欲がかけ流しの温泉のように湧いてきますし身体全体に力がみなぎる感じがします。寝ることも食べることも忘れてしまうくらいに一つのことに夢中になってしまうこともしばしばです。今の僕なら屋上から飛び降りても墜落することはないと思うくらい気力充実しています。
ただ、願いというやつは、どうか一度でいいから叶って欲しいなんて思ってたくせに、いざ叶うともう一回、もう一回ときりがありません。話ができたらそれでいいのになあ、なんてささやかな願い事だったくせに、いざそれが叶うと今度は一緒に遊びに行って一日二人だけで過ごしてみたい、一緒に遊びに行けたら次は夜通し語り合いたい、それが叶ったら今度は、なんて止めどもないのです。でも、さりげなく聞いてみたら土曜日曜の週末はじっくり走り込む絶好のチャンスで、普段の練習不足をそこで補っているのだと言いますし、日曜日に二人だけでハイキングなんて到底無理なようでした。
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僕は狂ったように勉強をし始めました。受験勉強なんかで人生を消費するのは耐え難いと思っていた僕が、初めて入試問題集なんて本を広げたりしました。受験勉強って何をやったらいいんですか?と例の英語教師に尋ねたら、あのなまけものが突然何を言い出すのだ?みたいな顔でしばらく固まっていましたが、高校に行きたくなって、と事情を話すと納得した様子で受験勉強のノウハウを教えてくれました。僕みたいな低学力生徒の場合はとにかく入試問題集の問題を解いていくのが一番の早道なのだそうです。問題をやって答え合わせをして、間違えたところはチェックだけしてどんどん先に進む。最後までやり終えたらもう一度最初に戻って、二回目をやるのだけど、二回目は一回目に間違えたところだけをやる。二回続けて間違えたところは教科書や参考書をたよりに復習してノートに間違えたところをまとめ直しておく。そういうやり方で四回繰り返せばなんとかなるんじゃない?と英語教師は言いますので、僕は問題集を広げているのです。世界のどこに住もうがネット環境さえあればどこでも仕事はできる父親みたいに、どこに行ったってどうせ独りぼっちで過ごす僕だから、どこに住んだってかまやしないさと引っ越してきた僕でしたが、生まれて初めてできた友達と離れたくない一心で、もと住んでいたあの街に帰る決心をしたのです。一年は離れて暮らす事になりますが、一年我慢すればまた一緒に過ごせるのだと思えば、少々の時間の浪費ぐらいどうってことないさと思えました。
気がついたら一学期ももうあと少しになっていました。担任教師は僕が英語教師に受験勉強についてアドバイスを貰った事を伝え聞いていたようで、ようやく僕がやる気になった様子は把握していたようですが、とりあえずは希望すれば誰でも入学できる地元の公立高校を希望すると思いこんでいたようで、三者面談の席で僕が例の私立学校への進学希望を伝えると目を丸くしていましたが、この子の事だから通信制の高校にでも行って、気が向いたら大検でも受ける積もりなんだろうなんて高を括っていた様子の母親は驚きのあまり気を失ってしまいました。
実は高校なんて興味なかったんだけどさ、もし万が一進学するのならあの学校がいいかなと前から思ってたんだよね、なんて話をでっち上げてなっちゃんには話をしてありました。え?まさか私が行くから先輩も行く気になったんじゃないですよね??なんて気味悪がられるかも、と若干不安だったのですが、なっちゃんは、それなら先輩、先に行って待ってて下さいよ、私一年遅れで行きますから、先輩に続くぞって思えばやる気でますもんね、なんて喜んでくれて僕の手を握るのでした。半分はなっちゃんの気を引こうとノリで言い出したわけで、でも先輩、一般入試でもけっこう難関校みたいですよ?先輩大丈夫なんですか?なんて勉強不足の僕には高嶺の花であることを指摘されて、そっかやっぱ無理かなあ、なんてその時だけ盛り上がればいいかな?くらいの積もりだったというのに、引くに引けなくなった僕は、じゃあ先に入学して待ってるから、絶対特待生で来いよ、なんて出来もしないことを請けあい、大見得切ってしまったのでした。
夏休みに入るとすぐに陸上の県大会があるそうで、そこで優勝すれば盆明けにある全国大会への出場権がもらえて、もしその全国大会で自己新記録を出せれば、特待生入学の基準記録をも突破できるからと、なっちゃんは学期末になってこれまで以上熱心に練習に取り組むようになりました。記録突破は三年生になる来年もう一度チャンスがあって、どうしても今年突破しないともう駄目だって訳ではないようでしたが、なっちゃんはどうしても今年突破しておきたいからと言って、これまで僕とお喋りしていた昼休みの時間にも周回コースに駆け出すようになりました。なっちゃんとお喋りできなくなったのは残念でしたが、雨の日にはこれまで通りお喋りできるわけですし、それ以上に実家の経済的な問題で特待生待遇での入学以外は無理だと申し渡されている事情も聞いていましたから、喜んで我慢しました。
もし先輩が来春の入試であの私立高校に合格したらすごいプレゼントをあげますから、もし今度の全国大会で自分が自己新記録を出したら記念に何かプレゼント下さいよ、となっちゃんは言いました。誕生日が八月だということも聞いていましたから、じゃあ誕生日のお祝いも兼ねてプレゼントを贈るよと言うとすごく喜んでくれて、絶対ですよ先輩が合格したら何でも先輩の欲しいものを上げますからね、なんて言ってくれるので僕はすっかり舞い上がってしまいました。
しかし、あの子が喜んでくれそうなプレゼントってなんだ?と考えはじめて僕は途方に暮れてしまいました。
女の子が喜びそうな物?。うわぁかぁわいい、なんて声を上げそうなもの。これ欲しかったんですよね、ありがとございます、先輩どうして私の欲しいものがわかったんですか?なんて、それがためにそこまで好きでもなかった僕にすっかり惚れ込んでしまいそうな何かなんてあるのでしょうか。女の子へのプレゼントどころか僕は他人へプレゼントしたことがないのです。無論、両親から誕生日にクリスマスにとプレゼントを貰った事はありましたが、それは大概、ねえプレゼント何がいい?なんて聞かれて、やれあの作家の全集がいいだとか、屋内プラネタリウムキットがいいとかリクエストしていたわけで、当然のように、で?何がいいの?なんてあの子に聞いてしまったのですが、それは先輩にお任せします、先輩が呉れるものなら何でもOKですから、なんて笑顔で頷かれてしまったのです。それならって軽いノリで、わからないくせにわかったふりをして、おかしな物をプレゼントしたら、本当は好意を感じていたのに、そのおかしな物のお陰で台無しになってしまうなんてこともあり得るわけですから、これは大変なことになったぞと思いました。
彼女いない歴二〇年とかの男の人が、たまたま電車で出会った素敵な女性とデートすることになって、服装は何がいいのか、どこでデートしたらいいのかわからずネットの掲示板で質問して、なんて話が随分前にあったのを思い出して、僕もネットの掲示板に彼女への贈り物についてアドバイスを求めました。やっぱ女の子なら、キティー、ディズニー、ゆるきゃらみたく可愛い系で決まりだとか、いや、全国目指すようなランナーなら最新モデルのランニングシューズを贈って、全国大会にもそのシューズで出て欲しいと言うべきだとか、まてまてシューズ贈るならウェアや鉢巻きも必須だとか、いや陸上はアンダーウェアが決めてだからスポーツ用のブラとパンティーもつけるべきだとか、いっそのこと用具一式が入るバッグの方がいいんじゃね?だとかやたらとお金がかかるものばかりを言ってきます。たしかにランナーですからランニングシューズはいいなと思ってネットで検索してみたのですが、最新モデルになるとどう安く見積もっても二万円はかかります。そもそも僕はお小遣いを貰っていませんし、どうしても必要な時だけ親に申告する仕組みでやってきましたので、母親に訳を話さないといけません。二万円いるからと言えば、何を買うの?と来るでしょうし、ランニングシューズを買いたいといえば、運動なんかしたこともない僕の事ですから、そんなもの買ってどうすんの?と聞くでしょう、そうしたら、好きな女の子にプレゼントしたいからなんて、絶対に親だけには知られたくない恋心を吐露するハメになってしまいます。てなわけでお金がかかるプレゼントは却下という事で掲示板に書き込みましたら、絵が描けるならその子の人物画、写真が得意ならランニングをしている姿を撮って贈れ、と返ってきましたが残念なことに絵もへたくそですし、写真にも自信がありません。あれだこれだと好き勝手な書き込みにあれダメこれダメと返していましたら、もう勝手にしろ、自分で考えろと掲示板の人達に不評を買ってしまい、しまいには、いっそのこと童貞でも貰ってもらえなんて書き込まれてしまいました。
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夏休みになり学校で会えなくなった僕となっちゃんはラインで近況を伝えあっていました。なっちゃんは予想通り県の大会で優勝し全国大会出場を決め、来週にも全国大会のある街に向けて出発するとのことでした。県の大会は自己新記録まであとコンマ三秒でしたので、強豪と競えば自己新記録を更新できそうです、その時は先輩よろしくね、なんてラインのなっちゃんはご機嫌でしたが僕はまだプレゼントを何にするか決めかねていました。帯に短し襷に長しってやつでどれもこれもしっくりきません。連日連夜考えに考えましたが答えが出ず、しまいに身動きがとれなくなり途方に暮れていたある日の夕方、僕は母親の科白を思い出しました。
自分がこの世で一番好きな人には自分が一番大切にしているものを上げればいいのよ。
前の街にいたころ、何かの拍子に母親はその台詞を口にしたのですが、幼い僕が、一番大切にしているものって何?と聞いても母親はちゃんと答えず、自分が一番大切にしているものを一番喜んでくれる人こそ、この世の中で一番自分にふさわしい人なのよ、なんて誤魔化すので、ますます混乱したのですが、じゃあ、父さんにその大切なものを上げたの?って聞くと、もちろんと言って微笑みましたから、全然わからいのになんとなく納得したような気分になったのを覚えています。
僕はこれだと思いました。僕が一番大切にしているあれをプレゼントすればいいんだと思いついたのです。それは僕がいつも夜中に研いでいる例のナイフ、そうです、父さんが爺ちゃんから譲り受けたとか言う、否、その爺ちゃんも自分の父親から譲り受けたんだったか、とにかく我が家で代々受け継がれている家宝「ながさ」です。山で暮らしていた猟師が大切にしていた日本版サバイバルナイフのことを「ながさ」と呼ぶらしいのですが、我が家のそれは大人の手で握れば少し余るくらいの杉の木でできた柄がつけられていて、渡りがその倍近くもある刃が鋭く光っています。柄の部分は長年の酷使で握られていた手の形そのままにどす黒く光っていて若干手形にすり減っているようにも見えますが、表に僕の先祖にあたる人物らしき人の名前が毛筆で書かれている四角い木製の鞘もついています。
父親は僕が十四歳になった去年の秋、書斎からそれを持ち出してきて、これは我が一族の魂で、代々元服を迎えた長男に引き継がれてきたものだから、おまえが持っていろと僕に差しだしました。これ一本あればどんな山奥で道に迷っても生き延びる事ができるのだそうです。釣った魚を捌くことは言うまでもなく、藪を切り開いて進む事もできるし、枝木を伐採して仮小屋を造ることも、いざとなれば熊を仕留めることだってできるのだと。父親がそれを譲り受けたという僕の爺ちゃんも、爺ちゃんのお父さんって人もお百姓さんで猟で山に入るのは農閑期の冬だけだったようですが、第二次世界大戦が終わって農地を手に入れ農業を始めるまでは専業の猟師だったといいます。その祖先が代々受け継ぎ、その命を預けていた小刀です。誰の力も借りず自然と対峙してきた猟師の血が父親から、爺ちゃんから、そのまた爺ちゃんから続いてきているのだと父親は話してくれました。そう言われても当の僕はそんな大自然と対峙するようなキャラではなく、背丈も普通で風が吹いて飛ばされそうなくらいにひ弱でご先祖様には申し訳ないくらいでしたが、父親から授かったからにはせめて錆びつかせないようにと鞘から取りだし砥石で研いできたのです。父親に教わったように研磨作業を繰り返していますと、冷静だった気持ちが高揚して宇宙まで飛び出しそうになったり、逆に弾んで弾んでどうしようもない気持ちがしっとりと落ち着いて来たりするのですが、時には冷静だった気持ちが妙に猛々しくなってきて、ひ弱で病弱で運動音痴で熊はおろか、町の不良達を見かけただけで震え上がってしまう僕でも、これさえあれば殺れる、なんて気分になってくることもあるのです。あの子はもちろん、学校の誰一人として、僕がこんなものを密かに隠し持っているなんて思わないでしょうが、馬鹿にしないでほしいです。こうみえても僕だって一応男なんです。否、僕こそが本物の男なのかもしれません。この気持ちの高ぶりを考えると、そこらへんの見かけだけ筋肉質のいかにもな男達なんかよりも、よっぽど僕の中を流れる血のほうが濃い。やけにリアルにそう思っちゃったりするのですから、やはりかけがえのない家宝に違いありません。
研磨作業の終わりには油をつけた布で拭きあげますが、拭き上げられた小刀を月の光にかざしているとそのなまめかしい輝きに僕は心を吸い取られそうになり、しばし恍惚となるのでした。
これをあの子にプレゼントしよう。そう僕は決めました。優勝おめでとう、なんて余計な事は一切口にせず、僕はいきなり風呂敷包みを開いて、それを出し、鞘から抜いて見せつけるつもりです。驚いて後ずさりするあの子の手に、大丈夫、平気だからって笑顔でささやいて、それを握らせるのです。この「ながさ」を握った時のあの子の顔を思い浮かべてみると胸がドキドキします。小さな真っ白い手でこのどす黒く汚れたそれをあの子が恐る恐る握りしめるのです。ずしりとした重さに、小さく「あっ」て声を漏らすかもしれませんが、すこしたてば怖がっていたあの子も平気になって、というよりは、その独特の感触の虜になり、いつのまにか手放せなくなって、かけがえのない宝物のように撫でさすり握りしめ、終いには刃先の鈍い光に吸い寄せられるように顔を近づけて頬ずりをし始めることでしょう。
さあ、こうなればあとはなっちゃんのプレゼントです。残りの半年、僕は猛勉強に次ぐ猛勉強で絶対にあの学校に合格してみせます。合格通知を見せた僕にあの子は一体なにを呉れるのでしょうか。先輩が欲しいものは何でも上げます、なんて言っていたから、リクエストしても構わないのでしょうか?もしリクエストしてくださいよって、上目遣いに言われたらどうしましょう。真に受けてあれをリクエストしても嫌われたりしないのでしょうか?やはり、君が呉れるって言うものならなんでもOKさ、と同じ台詞を返すべきなのでしょうか。
僕からなっちゃんへのプレゼントが決まってからは、なっちゃんの合格祝いの事で僕の頭は一杯でした。