スーベニア物語

 

                               山下 坊太郎

 

 

 

 岡山までしか来てなかった山陽新幹線が博多まで開通した年のある夕方、夕飯の片づけを済ませた母親が、週末のお気に入りのテレビ漫画を見ている坊太郎に声をかけた。そのテレビ漫画は、祖父と二人暮らしの少年が瀕死状態を救った老犬と多くの苦難に遭遇するという可哀想な話だったが、今いいところなのにぃと不平を言いながら坊太郎が振り向くと前掛けで手を拭き拭き近寄ってきた母親はポケットから正月にお年玉を渡す時に使った小さな袋を、はいっと言って坊太郎の前に差し出した。少しだけ誇らしいような、気恥ずかしいような表情を見せた母親はポカンとしている坊太郎に、無駄遣いしなさんなよとだけ言って、坊太郎の喜ぶ表情を見逃すまいとしている。お年玉の時の袋だからお金かなとは思ったものの、七月の誕生日はまだ先だしクリスマスまでは半年以上あるわけだから、何なのだろうと思い坊太郎が袋の中を覗くと、くしゃくしゃになった5千円札が一枚入っていて、あっと思った。来週の月曜日に出発する修学旅行の小遣いだとピントきたのだ。どうしても好きになれない担任教師は小遣いの限度額は五千円で、隠してそれ以上持ってきた奴は没収すると冗談だか本気だかわからない事をほざいていたが、坊太郎の家では限度額の5千円はおろか、小遣い自体貰えるのかどうかわからなかった。農協に勤める父親は坊太郎が小学校2年の秋に入院して以後入退院を繰り返し、今は何度目かの入院で病院に入っていた。病休でも給料は出たものの、それまでの6掛けしか出ないとの事で、母親は父親の代わりに農協の選果場で雇ってもらったが、母親のパート代を含めてもカツカツである事は子どもの坊太郎でもわかっていた。日々の暮らしでさえカツカツなところに修学旅行の小遣いでもあるまいと半ば諦めていたから、喜びよりも驚きの方が大きかった。

 

 え?これ修学旅行の?

 そうよ

 ほんまに?ほんまにええん?

 ええよね、その代わり無駄遣いしたら聞かんけえね

 

 坊太郎の驚く顔を見届けた母親は、心底嬉しそうな表情でそう言うとまた台所に戻って行った。さっきまで食い入るようにして見ていたテレビ漫画のストーリーなど忘れ、坊太郎は袋の中から引っ張り出した5千円札についた醤油のシミや皺をいつまでもじっと見つめていた。

 

 

 

 その2日後。明日の早朝いよいよ修学旅行に出発だという晩遅く、坊太郎は台所で明日の弁当の準備をしている母親に声をかけた。母親は坊太郎の好物の青ネギ入りの卵焼きを焼いているところだった。焼き上がる卵焼きの臭いを嗅ぎながら坊太郎は母親に聞いてみた。

 

 お金残ったら、返した方がええよね?

 ん?修学旅行のかね?

 うん

 せっかくなんじゃけえ全部使こうて帰りんさいや

 うん、でももし残ったら? 

 そりゃ、あんたにやった小遣いじゃけえとっときんさい

 ほんまに?

 ほんまよ、そがあな事気にせんでええわいね

 

 もし4500円使って500円残ったらの500円の事を言っていると母親は解釈したようだが、坊太郎は500円だけ使って残った4500円の事を考えていた。1月300円だった小遣いは中学に上がった時に500円に昇給したが、中3になった今でも据え置きだったから、5000円は小遣い10ヶ月分でかなりの大金だ。たまたま拾った宝くじが当たったようなもので5000円もの大金を好きにできるチャンスなど滅多にあるものではない。1生に1度の修学旅行だから初めて行く土地の名物や記念品を友達とわいわい言いながら買い求めるのも良い。それは小学校の時の修学旅行(その時は我が家の家計が最悪の時で3000円の小遣い限度額の半分しか持たせてもらえなかったが)で経験済みだからその楽しさもよくわかる。今度は少し大人に近づいた自分の目で未知の世界のあれこれを楽しんでみたいとも思ったが、その一方でこんな大金を、口に入れてしまえば消えてなくなるような食べ物や、買ったはいいが手にとってみるのも旅行後数日で、1週間もすれば忘れてしまうような置物なんかに浪費してしまうのは勿体ないような気もした。母親への土産は欠かせないから500円ほどの饅頭でも買うとして、あとはひたすら我慢して残した4500円で、もしそれがなかったら絶対に買えない他の物を買った方が良いのではないか、と思ったのだ。とはいえ母親としては1人息子の1生に1度の修学旅行だからこそ、苦しい家計をやり繰りして5000円もの大金を捻り出してくれたわけで、お金が余り返っているから好きに使いなさいと小遣いを渡した訳ではない。もしこのことを知れば、そんな事なら始めから小遣いなんか遣るんじゃなかった。きっとそう嘆くに違いない。

 でも、坊太郎はひらめいたのだ。4500円あればアレが買える。たしか雑誌の広告にあったはずと雑誌を探し出し慌ててページをめくったら、思った通りゴシック調の数字で4500円と書いてあった。この金がなければ、このチャンスを逃せば永遠に手には入らないだろう。でも今ならこの金がある。この金さえあれば手に入るのだ。そう考えると母親を落胆させてでも買う価値があると思うのだが、母親の気持ちを思うと心が痛む。

 降って湧いたような幸せに坊太郎の気持ちは揺れていた。

 

 

 

 坊太郎は友達が少ない。

 友人がいないわけではないが、クラス替えがあったばかりでもあり、知らない子の方が圧倒的に多かった。ただ数少ないその友達はクラスの中ではいるのかいないのかわからないような目立たない子ばかりだったから好都合だった。友達が多かったら、一緒に買い物しようぜと誘われるだろうし、誘われるまま行ったのに見るだけで何も買わなかったら、何でお前、何も買わないの?と問いつめられるだろう。訳を言ったら言ったで驚いたり呆れられたりするだろうが、訳を言いたくないばかりになけなしの小遣いから要りもしない土産物を買うというのも馬鹿らしい。でも友人が少ないからその心配はいらない。

 旅行の目的地は九州だった。中国地方の地方都市である地元を出発して、開通したばかりの新幹線で九州へ入り、博多でバスに乗り換えて阿蘇で1泊。2日目は長崎。行きと帰りだけが新幹線であとは全行程バスという2泊3日の旅だった。

 小学校の時の修学旅行は、ほとんどが小旗を掲げる若いバスガイドに付き従ってゾロゾロ歩く団体行動だったが、1日に1回か2回、買い物の時間というのがあって、ガイドが指定した大きな土産物屋で30分とか1時間とかを過ごさなければならなかった。恐らく今回もそうだろうと予想され、そこさえやり過ごせばなんとかなるがと思案警戒していたら案の定、1日目の阿蘇草千里でその買い物の時間がやってきた。

 

 はいここで土産物屋さんに立ち寄りますので、ゆっくりお買い物を楽しんでくださいませ

 

 若いバスガイドのお姉さんは満面の笑顔でそう言って頭を下げた。男子も女子も興奮を抑えきれない様子でわいわい言いながらバスを降りて行ったが、坊太郎は1人バスに居残った。たとえ何も買わない積もりでいても、バスから降りたばっかりに洒落たペナントや鮮やかな絵はがきに目が行き、感激の余り手が伸びないとも限らないが、土産物屋に入りさえしなければ決意が揺らぐこともないのだ。

 

  ボウちゃんおりんの?

 

 数少ない友人の一人である中前が声をかけてきた。2人組を作ったら座れと指示される体育の時間のように他に友人のいない中前は坊太郎をあてにしていたと思われ、ここで坊太郎が断れば中前は独りぼっちでいつまでも立たされる体育の時間みたいに、闇雲に土産物屋の雑踏を行ったり来たりするという苦行を強いられることになるなあ、とは思った。坊太郎にしたって気を遣わなくて済む中前となら一緒に土産物屋を歩いてみてもいいなと思ったが、まだ初日だというのにここで情に流されてバスを降りたら最後、3日目には密かな野望も破綻すると思ったから心を鬼にして嘘をついた。

 

 ちょい腹が痛いのっちゃ。

 

 中前には心の中で両手を合わせ許してもらった。そっかぁとしょげた感じで中前はバスを降りていった。

 小学校の修学旅行の時、坊太郎はなけなしの小遣いから500円を割いて秋芳洞のペナントを買った。黄金柱と呼ばれる鍾乳洞の中でもとびきり見事な岩が描かれているペナントだった。それは今でも坊太郎の部屋に誇らしげに飾られていて、それを見るたびに小学校の修学旅行を思い出し甘酸っぱい気分になる。他の生徒達は今頃、あの時と同じようにあれカッコええわあ、いやこっちのも綺麗よと壁に飾ってあるペナントの数々を指差しながら楽しんでいるんだろうなと思うと切なくなるが、ここを我慢すればそんなもの較べ物にならないくらいの幸福が手に入る。一時の気の迷いで後々後悔するような事があってはいけない。坊太郎はそう自らを戒め、それを手に入れるその瞬間を1人居残ったバスの座席で夢想した。

 

 おい、わりゃ何しちょるそ?買い物の時間ど

 

 担任の男性教師だった。赤ら顔のその教師は着古した背広のズボンのポケットに両手を入れ、銜えタバコのままバスの通路に突っ立っていた。何しちょるそ?と言われたって見学じゃあるまいし、買いたくないから残っているだけなのに、どうしたもこうしたもないだろと思ったが、そのままを口にするわけにもいかず、いやべつに、とだけぶっきらぼうに言うと、腹が痛いじゃ中前が言いよったが嘘じゃあるまいの、と不機嫌そうな顔を近づけてきた。タバコの煙で咳き込みそうになった。糞か?と言うので、あ、いや胃の調子がどうも、と咄嗟に誤魔化した。腹が痛いなら斉藤先生のとこに行けや、一人だけ勝手な事しおってから。担任は忌々しげに坊太郎を睨みバスを降りた。斉藤先生とは保健室の先生の事だった。中前のお喋り。舌打ちをしながら坊太郎はそう呟いた。

 

 

 

 初日の宿は大部屋でクラスの男子20人全員が同じ部屋だった。クラスが始まってまだ2ヶ月も経たないというのに、男子の中にはすでにいくつか派閥ができあがっていたが、図体がでかくて喧嘩が強くやたらと声のでかい野球部員の四人が早々とクラスの実力者として君臨していた。

 坊太郎の学校は校則で男子は丸刈りと決まっていたが、その中でも野球部は五厘刈りと呼ばれる修行僧のような頭をしていたから余計に目立っていた。四人とも初めて同じクラスになる子達だった。坊太郎の学校では運動ができる男子なら一も二もなく野球部、という風潮があって、バレーやバスケ、陸上をやってる子達はそれらの競技種目が好きだからと言うよりも、野球が下手だから仕方なく他に回るという感じだったから自然と生徒の力関係もそういう感じになった。テニスや卓球、柔道なんかでさえ冴えない感じだったから、書道部の坊太郎や美術部の中前なんかは影が薄かった。部屋を俯瞰するとその力関係そのままに、部屋に1台だけのテレビの回りに野球部がいて、その周辺にバレーバスケの連中がおり、テニス、卓球、柔道、水泳の子達はそこじゃテレビが見えないだろうと思われるところでババ抜きかなんかを大人しくやる、という感じになっていた。

 坊太郎は中前と2人で部屋の隅で喋っていたが、傍らにはもう布団に潜り込んで寝ている帰宅部の子もいた。中前は鞄の中から草千里の土産物屋で買ったという酒粕の袋を取りだして見せてくれた。どうして草千里で酒粕なのかさっぱりわからなかったが、中前はお父ちゃん、お酒が好きなんじゃ、と言った。他に何を買ったのかと坊太郎が聞くと、それだけだと答え、初日からようけい買うたら荷物になるけえ言うて、お母ちゃんが言いよった、と付け加えた。

 

 テレビの回りで馬鹿笑いをしていた野球部の連中は人気の歌番組が終わると、タバコを吸い始めた。それぞれ慣れた手つきで火のついたタバコを銜えては、得意げに紫煙を鼻から抜いてみせた。周辺にいたバレーやバスケやその他の子達は横目で見ているくせに気が付かない振りをしていたが、坊太郎と中前は遠くからその微妙な感じを黙って見ていた。

 その時、突然襖が開いた。教師かと思いドキッとしたら、体操服姿のクラスの女子だった。一瞬凍り付いた空気が一気に緩んだ。なんじゃあ、びっくりさせんなやバカタレ、と野球部のエース中崎がはしゃいだ口調でわめくと、ちょっとあんたら何やっちょるんねえ、と咎めるというよりは茶化すような口調で大声を挙げた正木に続いて3、4人の女子ががずかずかと部屋に入ってきた。正木をはじめとするその子達はみなバレー部員で、身体がでかくて活発で賑やかなところは野球部と相似形でクラスの女子を牛耳っており、野球部の連中とは普段から親しそうにしていたから、野球部の男子目当てなのは明らかだった。

 

 ちょっとかしんさい

 馬鹿か、女のくせに何言うちょる

 ええけえ、ちょいかしんさいっちゃ

 お前不良か

 何言いよるん、あんたらに言われとうないっちゃ

 

 タバコを吸わせろと迫った女子は正木という子で、クラスを牛耳るバレー部女子の中心人物。切れ長の涼しい目が、ショートカットの頭髪によく似合っていた。勉強の方は10人並だが背が高くて運動神経抜群でけらけらとよく笑い、その子が教室にいるだけで男子がそわそわしてしまうような華のある子なのだが、その正木は抵抗する中崎から火のついたタバコを奪い取ると男子全員注目の中、金魚のように尖った唇でプカプカやってみせた。野球部は言うまでもなく周囲で見ていた男子からも歓声が上がり、一緒に来た女子がはやしたてると、調子に乗った正木は肺の奥まで煙を吸い込んでみせ、ほんの一瞬息を止め、そしてふくらんだ風船が空中で破裂するみたいに激しくむせた。程良くふくらんだ胸を両手で押さえ布団の上を回転レシーブさながらに転げ回る正木を指さして誰もが笑い転げた。

 

 そんなふうにしてひとしきり遊んだあと、その女子達はじゃあねとか言いながら部屋を出て行ったのだが、部屋を出ていくとき、宮本という正木の手下みたいな小柄な子が、部屋の隅でじっとその様子を見ていた坊太郎に気が付いて、ちょっとお、あんたらこの事バラしたらいけんよ、と言い、人差し指と中指でタバコを挟み口許に近づける仕草をしてみせた。坊太郎の隣の中前は慌てた様子で、あっはい、と愛想良く答えたが、坊太郎はわかったとも何とも答えずにいた。

 宮本は返事をしない坊太郎に苛ついた様子で、ちょっとそっちのあんた、聞いちょるんね、と念を押したが、正木が割って入って、ええっちゃええっちゃ喋りゃあせんっちゃと宮本をなだめ、坊太郎の方を見て軽く頷くような仕草をしてみせた。

 人気者で誰もが好意を寄せる正木が、地味で目立たず居ても居なくてもいいようなカスみたいな男子に親しげな態度を見せた事に驚いたのか、正木と坊太郎の両方を交互に見た宮本は、でも、知っちょる?こいつ買い物の時ずっとバスに残っちょったんと1人で、変態じゃろ、と嘲笑ししつこく食い下がったが、正木はそう言い募る宮本を無視して、ほらもう行くよ、と部屋を後にし、残された宮本は不満そうな顔で正木の後を追った。

 その場の流れからすれば、全員が楽しみにしていた買い物の時間に1人でバスに居残るような調子っぱずれの男子を変態だの馬鹿だのと揶揄しても良い、否、それをネタにもう一盛り上がりあるべき場面で、差し水をするように切り上げ部屋を出ていった正木の態度は明らかに不自然だった。それまで馬鹿騒ぎをしていた野球部の連中や残りの男子達もそう感じた様子で、台風が通り過ぎた市街地さながら、正木達が出ていくと部屋は妙な空気で静まりかえった。はしゃぎ回っていた野球部の連中も黙ったままお互いに目配せしたり首を傾げたりしていたし、とりわけ中崎は何か言いたげな顔つきで坊太郎を見ていて、坊太郎もその事に気が付いてはいたが、消灯だぞと教師が回ってきて結局何も言われずにすんだ。

 

 

 

 坊太郎の学校は大小3つの小学校から生徒が集まっていたが、坊太郎はその3つの中でも一番小さな小学校の出身だった。同学年の生徒が男女合わせて15人しかいなかった。無論クラスは1つしかなく、1年から6年までずっと同じ面子で大きくなったのだが、実は正木もその15人の一人だった。

 大きな学校では男子はソフトボール、女子はバレーボールと分かれてやっていたらしいが、なにせ15人しかいない学校だったからそういうわけにもいかず何をやるにも男女混合だった。小さい時から正木は身体も大きくスポーツ万能だったが、坊太郎も負けてはいなかった。正木より随分背が低かったが、とりわけ足が速く駆けっこなら誰にも負けなかった。

 その小学校は中学校から車でも30分はかかる中山間部にあったから登下校は料金無料のスクールバスだった。その小学校出身者は全員そのバスで登下校するわけで、6年生から中学に上がった時には、久しぶりに会う上級生が懐かしかったりしたのだが、下校バスの時間は5時半と決まっていたから6時まで練習のある運動部には先輩達も入部できずにいた。正木の場合は実家の爺ちゃんが毎日、自家用の高級車で送り迎えをしてくれていたからバレー部を続けられたが、そんなのは例外中の例外で他の子は大概、帰宅部か下校時間に活動の終わる文化部所属だった。書道部の坊太郎だって別に書道が得意な訳じゃなく本当は野球部に入りたかったのだが下校バスの事を考えると到底無理な話だった。じゃあ正木の爺ちゃんが一緒に乗せて帰ってやると言ったら入れたのかと言うと、それでも無理だったと思う。グローブにユニホーム(アンダーシャツにストッキング、帽子含む)、スパイクにマイバット。なにせ野球は用具に金がかかりすぎる。練習さえすれば、クラスに君臨するあの中崎よりも速い球を投げる自信はあったし、事実、自慢の駆けっこでは去年の運動会であいつに大差をつけて勝ったのだが、悲しい事にそんな子どもの遊びに費やす経済的余裕は坊太郎の家にはなかった。

 そういう事情で正木は坊太郎の幼なじみだったが、部活を続ける関係から正木は朝も夕方もスクールバスに乗らなかったし、1年も2年も坊太郎とは別のクラスだったから、中学に上がってからはほとんど関わりが無かった。入学当初は廊下で会えば立ち話くらいはしていたが、それも最近はめっきり少なくなっていた。今年、2年ぶりに同じクラスになった。正木と関わりがなくなったこの2年間でひょろりと背が伸びて、坊太郎は6年生の頃のままの正木を追い抜いてしまったけど、久しぶりに会った正木はアイドル並の人気者になっており、坊太郎みたいな地味な男子が気軽に話しかけられるような存在ではなくなっていた。坊太郎は冷めた気分で見知らぬ人気者になった正木を遠くから見ていた。

 

 

 

 2日目は長崎で皿うどんを食べ、グラバー園や古いキリスト教の教会なんかをを見て回った後、嬉野温泉というところに泊まったのだが、おぞましい事に午前と午後の2回も買い物の時間があった。午前中の買い物の時、ボウちゃん行かんの?と誘ってきた中前に、まだちょっと、と坊太郎が腹を撫でてみせると、中前はちょっと考えるような仕草をした後、じゃあボクも残ろっと、と坊太郎の隣りの席に腰掛けた。

 

 ボウちゃん、正木さんと仲ええんかね?知り合いなん?

 

 昨日のあの場面に違和感を感じていたらしい中前が坊太郎の方を見ずにそう聞くので、坊太郎は本当の事を中前に教えてあげた。

 

 あいつのお、ほんまはスクールバスなんで

 

 坊太郎が中前の耳元で囁くと、中前はえ?っと驚いたような声を挙げた。坊太郎の学校では坊太郎の出身小学校や、その小学校出身者の事をスクールバスと呼んでいて、おいスクールバスが来たで、とか、へえあいつスクールバスなんか、と言ったりしたが、その言い方には、田舎者のくせに生意気にバス通学なんかしやがって、とか、へえ見栄はってるくせに田舎者なんだ、という小馬鹿にしたニュアンスがあったから、あの華やかで近寄りがたい人気者がスクールバスだなんて、初めて聞いた者には衝撃的だろうなと思われた。ちゅうことは、ボウちゃんは正木さんと幼馴染みなんじゃ、と確かめるように中前は言い、ええのお、と呟いた。

 村人はみな正木の爺ちゃんの事を郵便局長と呼んでいた。それは文字通り正木の家が郵便局をやっていて、先代の局長が爺ちゃんだからなのだが、話はそれだけで終わらない。坊太郎の村ではもめ事なんかが起こった場合は役場や派出所ではなく郵便局に相談に行ったし、無理難題を押しつけてくる輩には、郵便局長に訴えるぞと言えば大層効き目があった。郵便局長は村長をも凌ぐ地域の名士だったが、郵便局をやっているから名士なのではなくて、昔からの名士だから郵便局を営めたというか、村人みんなが納得するような名士でないと郵便局は開けなかったというのが事実に近いのだが、正木の家はそういう家だった。

 それに対して坊太郎の父親はたまたま転勤で来たよそ者の上に、しがない農協事務員で、おまけにひどいアル中だった。飲まなければ無口で気弱な人が酒を口にした途端に豹変するというアル中もあるようだが、坊太郎の父親はその逆で、酒さえ飲んでいれば上機嫌で仕事中にも平気でチビチビグビグビやっていたようだが、何らかの理由で飲めない時間が続くともう駄目で、苛ついた挙げ句に暴言を吐いたり暴れたりした。じゃあ始終酔っぱらっていたら大丈夫なのかと言うとそうでもなく、飲み過ぎると前後の見境がなくなり、やっぱり暴れた。坊太郎が小学校2年の秋、村の祭で飲み過ぎて神社の宮司を殴り、強制的に入院させられたのが最初の入院だった。

 小学生の頃はよくわからなかったが、度重なる入院も飲酒でダメージを受けた内蔵治療の為というよりは専ら酒をやめさせる為の精神科への入院だったらしい。地縁血縁もない狭い村で父親の持病は周知の事実となり、随分肩身の狭い思いをしたが、父親が退院している時は酒代で、入院している時は入院費で家計は火の車だったから、あの父親さえいなければ幸せなのにと坊太郎はいつも思っていた。坊太郎は父親が嫌いだった。というか憎んでさえいた。

 中前は、正木と幼馴染みの坊太郎を羨ましがってみせたが、羨ましがられる坊太郎は複雑な気分だった。

 

 正木の話はそれきりで終わってしまったが、担任教師がバスに上がってくることもなかったから、みんなが戻ってくるまで坊太郎は中前と取りとめのない話をして過ごせたのだが、午後は大変だった。早々とバスに戻ってきた中前と2人でいたら例の中崎達がバスに帰ってきたのだ。小1時間はあるからと告げられた買い物時間はまだ30分も残っていた。

 

 ええもん見しちゃろう、ほらこれっちゃこれ

 おい、中ちゃん何しよんや、酒じゃないか

 馬鹿たれ、酒じゃのうて芋焼酎っちゃ

 くすねてきたんか?

 あの店の爺さんボケちょるけえ楽勝っちゃ、飲もうで

 

 坊太郎達には気が付いていないのか、中崎達は土産物屋でくすねてきたらしい焼酎の小瓶を回し飲みし始めた。車内にアルコールの臭いが漂いはじめ、それはバス後方の坊太郎達の席まで伝わってきた。やつら調子よくラッパ飲みしたせいで咽せてみたり、大人の真似なのか、効くねぇと奇声を挙げて両手を振り回してみたりと楽しそうだったが、わいわいやっているうちに後部座席の坊太郎に気が付いたようで、中崎の1番弟子の河原が中崎の袖を引いて坊太郎の方を指さし、急に車内は静まりかえった。やつらしばらく坊太郎達の方を睨んでいたが、担任教師の名前を挙げ、わりゃお前ら後藤にチクったら許さんど、と凄んだ河原が車内中央の通路を通って後部座席にいる坊太郎達の方へ移動しようとした時、親分の中崎は意外にも、おい止めえっちゃ、と河原を制した。ほいでも中ちゃん、と河原は不服そうな顔をしてみせたが、中崎はお構いなしで、さっと席を立つとバスを降り、他の子もそれに続き、置き去りにされた河原は慌てて中崎の後を追った。

 中崎達がバスに戻ってきた時から青くなって震えていた中前は、やつらが出て行ってもまだドキドキしている様子で、えかったぁと安堵の声を震わせていたが、すぐに後藤がバスに上がってきた。後藤はバスに上がるや運転席の辺りで立ち止まり、鼻をヒクつかせて辺りを見回していたが、坊太郎と中前を見つけるとずんずん後部座席まで移動してきた。

後藤の顔が紅潮していた。

 

 やっぱりお前か、蛙の子は蛙よのお、いつかやるじゃろう思うちょったんじゃ  

 

 そう怒鳴りつけるなり後藤は坊太郎の頬を叩いた。頬の痛みと同時に音叉を叩いたような音で耳が聞こえなくなった。殴られた痛みと後藤が口にした言葉で頭に血が昇った。焼酎を万引きした生徒が酒盛りをしていたと事情は中崎からみんな聞いている。いくら隠しても悪い事はすぐにばれるのだ、馬鹿めが。という意味の事を後藤は聞き取りにくい早口の方言でまくし立てた。

 

 飲んでません

 嘘を言うな嘘を

 嘘じゃありません

 じゃあこの臭いは何じゃ

 知りません

 しらばっくれるな、証拠があるんど証拠が、ほら見てみい、この酒瓶が動かん証拠じゃ

 知りません、そねえなもん

 中崎に注意されたんじゃろうがや、全部聞いちょるんど

 注意なんかされちょりません

 注意されちょらんじゃ?

 されちょりません

 じゃああれか?学級委員の中崎が嘘ついちょる言うんか?

 あいつが何言うたか知りませんが、わしは飲んじょりません

 はあ?お前のお、だいたい買い物の時間は買い物をせにゃおかしかろうが

 腹が痛い言うた思いますが

 言い訳するな

 言い訳じゃありません

 団体行動せえ、団体行動を

 団体行動と酒とどういう関係があるんですか

 関係おおありじゃ、みんなちゃんとバスを降りとる、バスに残っとるのはお前らだけど

 それで?

 それで?  団体行動ができんやつは規則も守れんちゅう事っちゃ

 ちゃんと規則は守っちょります

 生意気なのお、わりゃあ

 何が生意気なんですか

 ガキのくせに酒なんか飲みやがって

 だから飲んでません

 その態度よ、その態度が生意気じゃ言うちょる

 よいよ、せんないのお、酒なんか飲んどらん言うたら飲んどらんのよ

 せ、せんないじゃ?わりゃ、何じゃその反抗的な態度は

 

 坊太郎も中前も後藤にバスから引きずり降ろされた挙げ句こづき回された。後藤は坊太郎の胸ぐらを掴んで締め上げ、今度バスに居残っとったら半殺しにしちゃるど、と恫喝を加えたが、クラスの男子も女子も全員が、その様子を遠巻きに見ていた。後藤の吐息が酒臭かった。

 この教員、技術科の担当だったが、技術棟が普通校舎から離れた別棟にあって管理職の目が届かないのを良いことに、生徒に作業をさせておいて自分は準備室に引っ込み、出てきた時には赤ら顔なんてのがしょっちゅうで、酒臭いのは珍しくなかったが、かなりの量を飲んだ様子で、吐息のせいで吐きそうになった。

 泣きじゃくっていた中前は、なんでホンマの事、喋らんかったん?中崎くんが怖いけえ?としゃくり上げながら恨めしそうな声を出したが、坊太郎は唇を噛みしめたまま何も答えなかった。

 

 

 

 1年前の七夕の夜の事だった。坊太郎はたまたま回した深夜のチャンネルでそれを見た。サッカー世界1を決める大会の決勝戦がミュンヘンから生中継されていたのだ。メキシコオリンピックで日本のチームが銅メダルを取ったとか、その大会で得点王になった選手は世界でも有名らしいとは聞いていたが、じゃあ国内でサッカーが人気あったかというと全然そんなことはなく、人気という点でいえば断然プロ野球で、去年引退したスター選手が監督をする東京の人気球団がまさかの最下位か?とか、万年Bクラスでリーグのお荷物と蔑まれていた隣県の弱小チームが球団初優勝を果たすのかという話題で持ちきりだった。野球部は坊太郎の中学は言うまでもなく、市内近隣のどの中学にもあったがどこを探してもサッカー部はなかった。坊太郎も体育の時間以外でサッカーをした事はなかった。

 ところがブラウン管に映し出された巨大なスタジアムは溢れそうなくらいの観客で超満員。等間隔に刈り込まれ整備された芝生は精緻に織り込まれた絨毯のように美しかった。

 試合は西ドイツとオランダという欧州勢同士の対戦だったが、彼等はその魔法のように美しい絨毯の上をものすごいスピードで駆け回り、恐らく手で扱うよりも数倍巧みに頭や足や胸でボールを操った。

 

 坊太郎が後藤に告げ口しなかったのは中崎が嫌いだったからだ。やりたいのにできない野球が上手いのも気にくわなかったし、裏では好き放題やってるくせにやけに教師受けが良いところも癪に障ったが、他にも理由はあった。

 

 試合は開始早々にオランダがPKを得て、予想して右に飛んだGKをあざ笑うかのようにキッカーはど真ん中にボールを蹴り込んだが、その勢いのままオランダは攻めに攻め、勝負は明らかだと思われた。ところが前半も半ばを過ぎると西ドイツが反撃に出て、PKで同点に追いつくと、小柄でずんぐりしているくせに動きの素早いFWが後ろにトラップしたボールを振り向きざまにゴールに叩き込んで、それが決勝点となった。

 

 中崎が嫌いなら後藤にやつの名前を出して疑いを晴らせばいいじゃないかと言われそうだが、そんな事をしたら負けだと思った。中崎は坊太郎が中崎を嫌いな理由、それと同じ理由で坊太郎を疎ましく思っている。だから坊太郎に嫌がらせをしたのだ。

 

 あの試合を見て坊太郎はサッカーの虜になった。一目惚れした女の子の事を思い浮かべるように1日中サッカーの事ばかり考えてすごすようになった。大好きで仕方ない女の子の事ならなんでも知りたくなるように、なけなしの小遣いをはたいてサッカー月刊誌を買った事もあったし、毎週1回深夜に放送していた、世界中のサッカーの試合を放送する番組も見るようになった。欧州南米のサッカーリーグとそこで活躍する名選手の多くを坊太郎は知ったが、とりわけイングランド1部リーグがお気に入りだった。模造紙にイギリスの地図を大書し、そこにイングランドリーグの有名クラブがある都市をかき込んで自分の部屋に貼りだした。それをしょっちゅう眺めていたお陰で地理は得意になった。

 毎日毎日、スクールバスで自宅に帰ると小学校のグランドに駆けていって、1人でボールを蹴った。小学校では使い古したバレーボールやドッジボールなんかを体育館横のボール籠に入れてあって、誰が使っても良い事になっていたから、そのボールを使ったが、どんなにまともなやつを選び出しても中途半端に空気が抜けていたし、空気つぎでシュコシュコやってもすぐに弾まなくなった。毎日練習したお陰で、足の甲や腿、そして頭を使ったリフティングはどこででも100回くらいは出来るようになったし、足のくるぶし辺りで丁寧に転がすボールも、甲で蹴るライナー性のボールも、ボールの下に爪先をねじ込んでバックスピンをかけて蹴るロビングボールもちゃんと蹴り分けられるようになった。小学校のグランドは小石が転がる荒れたグランドで、履いているのは先っちょの破れかかった布製のズック靴だったが、グランドを駆け回る坊太郎の頭の中には緑の絨毯が広がっていたし、ピカピカに磨かれた黒い革製スパイクが蹴るのはイングランドリーグ公認、純白の手縫いのボールだった。

 

 あいつなんかには負ける気がしないのに野球部に入れない悔しさ。学校の人気者で調子に乗ってるあいつと地味で目立たない自分。もともと対等じゃない坊太郎が貶められたからといっていちいち名前を出して教師に泣きついたら負けだ。俺はどんな仕打ちを受けたってどうってことない、どんなに切ない思いをしたってどうってことないのだ。やりたければやればいい。平然としてなきゃ負けなんだ、と坊太郎は思った。

 

 今年の冬、坊太郎は一人バスと汽車を乗り継いでサッカーの試合を見にでかけた。坊太郎の住む町から2時間ほどの田舎町にある企業チームが日本最高峰のリーグに昇格したのだ。その田舎町の本拠地は、芝生こそ張ってあるものの両サイドに盛り土した申し訳程度のスタンドがあるだけの、スタジアムはおろか競技場とも呼べないようなただの原っぱだった。その田舎の原っぱに降り立った坊太郎の目と鼻の先で、メキシコオリンピックで得点王になったあの選手がバズーカ砲のようなシュートを放つのを見て、坊太郎は気を失って卒倒した。

 

 

 

 嬉野温泉に泊まった2日目の夜も、中崎達はタバコをくゆらせ、別に万引きしたらしい焼酎をこれ見よがしに飲み始めた。途中からは正木達バレー部女子も加わってはしゃぎ回っていたが、坊太郎はそんな奴等を無視するように早々に布団に潜り込み、目を瞑ってあのサッカーの試合の感激を1人反芻していた。

 

 

 3日目は長崎を出たあと博多駅までバスで走り、そこで新幹線に乗り換え地元に戻る予定だったから、博多駅までの間で1回トイレ休憩があっただけだった。別にトイレに行きたくはなかったけど、後藤がずっと睨んでいたので仕方なくバスから降りた。博多駅では早めの昼食を食べ終わっても、汽車の待ち時間が1時間以上あったから駅の土産物売り場を見て回って良いと言われた。

 坊太郎は中前と2人で土産物屋をうろついた。坊太郎は九州で有名な天満宮の名物だという餅を母親への土産にした。土産物屋のレジに並んでいたら隣りのレジに正木やバレー部の女子達が並んでいて、正木の手下の宮本がめざとく坊太郎を見つけ、あっ万引き野郎が土産買いよらあ、貧乏で買えんのか思いよったが、生意気に金もってきとるんじゃ、と坊太郎を指さした。坊太郎は無視をして5000円札を差し出し、お釣りの4500円を土産物売り場の女性から受け取った。酒粕を1袋買っただけだった中前はこれはお母ちゃん、これはお兄ちゃん、妹、と慌ただしく買い求めたが、坊太郎はそんな中前につきあって店を見て回った。その間も出くわすたびに宮本がなんだかんだと絡んできたが、それも無視した。正木は何も言わず坊太郎の方を黙って見ているだけだった。

 買い求めた土産物を抱えて集合場所に戻る時、お金残っとるのになんでボウちゃん買わんの?と中前が聞くから、誰にも喋ったらいけんよ、と念を押して坊太郎の野望を話した。なけなしの小遣いを残して帰って前から欲しかった物を買うんだと話すと、すごいボウちゃん、なんか大人じゃね、と目を丸くしていたが、で?欲しい物っちゃ何ねえ、とせがまれた答えを耳元で囁くと、驚いたり羨ましがったりすると思いこんでいた中前は小首を傾げたまま黙り込んだ。聞こえなかったのかなと思い、もう一度言おうとしたら、そんなもん買うてどうするん?と怪訝な顔をされてしまった。

 

 

 

 帰りの新幹線でもはじめは皆、大はしゃぎであちこちでトランプなんかをしていたが、小倉を過ぎた辺りから静かになった。旅の疲れからみんな居眠りを始めたのだ。隣りの中前も鼾をかき始めたが、坊太郎は少しも眠くなかった。坊太郎の心はすでに山の自宅に飛んでいた。当初の目的どおり大金を残すことができたのだ。あとは郵便局から郵便為替とかいうやつで東京の通信販売の会社に送金するだけだ。今日の帰宅は6時を過ぎるだろうし、郵便局は閉まっているから無理だが、明日は旅行の翌日って事で朝1時間目に旅行のしおりを提出して、あとは下校だと聞いていたから、明日帰宅したらその足で郵便局に走ろうと思った。残した大金を握りしめて郵便局まで駆けていく自分の姿、目を見開き鼻をふくらませ紅潮した自分の顔を、まるで映画のワンシーンを見るような感じで想像した。駆けるリズムに合わせて、リズミカルな歌を大声で歌い出したくなった。

 早く地元の駅に着けばいいのに。早く明日になればいいのに。いつまで経っても到着する気配のない新幹線に、居ても立っても居られなくなってトイレに立った。車両の連結部にあるトイレで小便をしていると、母親の事が気になった。あの母親の事だ、自宅に帰ればきっと旅行は楽しかったか?旅館の食事は美味しかったか?おかずは何だった?と根ほり葉ほり聞くだろう。旅行の様子は適当に誤魔化すとしても、小遣いで何を買ったのかと問われたら困る。なにせ渡せる物はあの八幡宮名物の餅しかないのだ。買い食いで残りの金は使ってしまったと答えたとしても、じゃあ何を食べたのかと聞かれば答えようがない。これは困ったなあと思いながらトイレを出たら、来る時は誰も居なかった連結部のデッキに正木が1人で立っていた。一瞬目があって、正木がアッと照れ笑いしてみせるので、何じゃ、と坊太郎が無愛想な声を出したら、別にと正木が唇を尖らせるから、そりゃアイドル並の人気者がわしみたいなクズに用事があるわけないわいのお、と憎まれ口を叩いたら、坊太郎、ちょっとあんたねえ、と正木が坊太郎の手を掴んできたが、ちょうどその時、おい真由美、何しちょるんじゃ、と名前を呼びながら中崎がデッキまで歩いてきたから坊太郎は掴んできた正木の手をふりほどいて席に戻った。真由美とは正木の名前だった。戻る時に坊太郎はデッキに歩いてきた中崎とすれ違ったのだが、その坊太郎の後姿を中崎が立ち止まったまま振り返って睨んでいるような気がした。

 

 

 席に戻った坊太郎は目を瞑って寝たふりをしてみた。自宅の部屋に貼ってある黄金柱のペナントを思い出してみた。小学校の修学旅行でお揃いで買ったペナントだが、きっとあいつの部屋にはもう貼ってないんだろうなと坊太郎は切ない気持ちになった。

 

 

 地元の駅に着くと裏駅の広場に集合し、明日の予定を聞いた後、解散になった。辺りはもう薄暗くなりつつあった。臨時で用意されたスクールバスのところに坊太郎が急ごうとしたら後藤が、ちょっと待て、と坊太郎の二の腕を掴んできた。お前、小遣い余分に持ってきちょったらしいのぉ、と言うので耳を疑った。坊太郎が掴まれた手を無言で振り払うと、博多の駅で真新しい5000円札を使うお前を見た生徒がおるんで、と絡んできた。最終日にまるまる5000円札出すという事は、本来の5000円札以外にもう1枚別の5000円札を隠し持っていたに違いないと言いたいらしかった。

 後藤は背広のポケットからタバコを出すと火を付けて銜え紫煙を坊太郎の顔に吹きかけた。坊太郎は、まるまる残っていた小遣いで500円分だけ母親に土産を買ったのだと本当の事をぶっきらぼうに言い、残りの4500円をポケットから出して見せたが、後藤は、最終日まで5000円札が残っとる訳がなかろうが、と履き古した革靴で坊太郎の向こう脛をけ飛ばした。

 無駄遣いしたくないから買い物の時間にバスに残ってたんじゃないですか、と言い返すと、嘘つけ、バスで盗んだ焼酎飲みたかったけえじゃろうが、わしゃ知っちょるんで、おまえの親父がアル中じゃいうのおのお、蛙の子は蛙よ、盗んででも飲みとうなるんちゃのお、と話を蒸し返すので、授業中に焼酎飲みよるんはあんたじゃろうが?と舌打ちをすると、わりゃ舌打ちしやがったの?だいたいその口のきき方は何じゃ、と話をすり替えてきた。見ると解散したはずなのに、遠巻きにたくさんの生徒がニヤニヤしながら様子を見ていたが、その中に中崎達や宮本の姿も見えて、そう言うことかと坊太郎は思った。またあいつらか、と中崎等の方を睨むと、誰でもえかろうが、悪い事したらどっかで誰かがみちょるんよ、と怒鳴るから、わしはしちょらん言いよろうが、と怒鳴り返したら、わりゃあ、と口走って右手で一発、反省せえや反省を、と喚いて一発、旅行中から態度が悪いんじゃお前は、と一発、後藤は坊太郎の頬を叩いた。甲高い乾いた残響が夕闇迫る広場に響いた。3発目のビンタで、殴りつけた方の後藤がバランスを崩し転げそうになり銜えていたタバコが地面に飛び散った。学校の方に帰りかけていた他の教師達も何事かと集まってきた。余分に持ってきた小遣いは没収じゃ言うたろうが、と言い、後藤は坊太郎に持っている金を出せと迫ったが、無言で坊太郎は抵抗した。

 間に割って入った校長が後藤を制して問い質すと、実はこの不良生徒が、と後藤が回りくどい説明を始めたが、まだ話し終わらないところで、先生、それ誤解ですよ、と聞き覚えのある女子生徒の声がした。振り向くと正木が立っていた。

 

 

 校長先生、後藤先生は誤解しています。坊太郎は決められた金額しか持ってきていません。

 私が保障します。それに博多駅で5000円札を出して買い物したからといって残りの お金

 は使ってないんだからどっちにしろ関係ないと思います。

 

 

 後藤は不服そうだったが、バレー部のエースがこう言ってるんだ、後藤先生、もういいんじゃないですか?と校長に諭されそれ以上何も言えなくなった。気を付けて帰りなさい、と校長に言われ坊太郎は無事解放されたが、大急ぎで駆けて行ったのに乗って帰るはずだったスクールバスはもう出たあとだった。広場まで引き返してみるといつのまに消えたのか教師達も正木も遠巻きに見ていた中崎達も見えなくなっていた。

 広場で1人ぼっちになった坊太郎が途方に暮れていたら、どこからか近づいてきた車のクラクションが鳴った。窓から顔を覗かせたのは郵便局長こと、正木の爺ちゃんだった。わしが連れて帰るけえ先に行きんさい言うてバスを行かせたんじゃ、と爺ちゃんは言い、坊太郎に車に乗れと促した。後部座席に正木と並んで座ったが、となりの正木が坊太郎にティッシュを渡してくるから何だと思ったら、腫れ上がった唇から血が出ていた。えらい叱られよったのお、何があったんじゃ、とハンドルを握る爺ちゃんは心配そうな声を出したが、いや大した事じゃないですとだけ言って坊太郎は腫れた唇を貰ったティッシュで拭った。正木は黙ったまま何も言わなかった。さっきはありがとう、そう言わなくちゃと坊太郎は思ったが、うまく声にならなかった。

 車の中では爺ちゃんが聞いていたラジオが夕方のニュースを読んでいて、坊太郎も正木も黙ったままそのニュースを聞くともなく聞いていたが、そういやあボウちゃんとこいろいろ大変じゃなあ、と爺ちゃんが言うので、アル中親父のせいで何かと苦労の多い母親の事を言っているんだろうと思って、はあまあ、と相づちを打ったが、いつでも相談に来んさい言うてお母さんに伝えといてよ、みたいな事まで言い添えたりして、何でそんな事を今更とは思ったが、せっかくなんで、ありがとうございますとお礼だけ返しておいた。

 爺ちゃんの高級車は暗闇の中を快調に突っ走ったが、そろそろ村に着く頃、それまで何も言わず無視していた正木が坊太郎の脇を肘でつついた。

 

 

 ねえ、あんた、あのペナント覚えちょる?

 ペナント?

 ほうよ、ほら小学校ん時の

 ああ、黄金柱?

 そうそう、覚えちょるんじゃね、うち、大切に部屋に貼っちょるよ、まだ

 へえ

 あんたは?

 ん?

 どうなん?まだ貼っちょるん? 

 さあな

 なんね、まさか捨てたんじゃなかろうねえ

 さあな

 

 

 最初の「さあな」はちょっと意地悪な感じの「さあな」だったが、2度目のそれはちょっと含み笑いのついで、優しい感じの「さあな」になった。その柔らかい響きに満足したのか、正木はそれ以上聞き返してこなかった。

 

 実家に帰ると、たった2日家を空けただけなのに、なんだか知らない家に上がり込んだような未視感があって、少しボンヤリしていたのだが、それは旅行のせいというよりは、大切に部屋に貼っちょるよ、まだ、という正木の一言のせいだった。

 自分が旅行に行ったみたいにはしゃいでなんだかんだ聞いてくるんだろうなと予想していたが、玄関まで迎えに出てきた母親は、案の定、旅行はどうじゃったかいね?と聞いてきた。そりゃあ楽しかったよ、と八幡宮の名物とかいう餅を渡すと、包みに書いてある文字を声を出して読み、ああこれがそれかねえ、と訳のわからない言い方で喜び、焼いて食べた方が美味しいんじゃろうねえ、とかなんとか1人事を言っていたが、旅行の話はそれきりで台所に消えた。

 食事中も寝る前も母親はいつもより口数が少なく、他に何を買ったのかとか、いくら残ったのかとか、小遣いについては聞いてこず、ちょっと肩すかしを食った気分だったが、そのほとんどを使わず残してきた小遣いについて問い質されずに済んで良かった、と胸を撫で下ろした。

 

 

 

 翌日、予定通り登校した学校では旅行のしおりの最後にある旅行の感想という作文をでっち上げ、冊子を提出したらもうお開きで、臨時に用意されたスクールバスで下校した。家に戻ったのはまだ昼前で、母親が作り置きしておいてくれた昼ご飯が食卓に置かれていたが、坊太郎は旅行鞄の底に隠していた現金を学生ズボンのポケットにねじ込み、サッカー月刊誌を小脇に抱えると、一目散に駆け出し郵便局に向かった。

 村で1番大きな母屋があり周囲を立派な塀で囲まれた、敷地が広くて前庭に車を何台も停められるような民家が郵便局だった。かつては牛や馬が繋がれていたらしい畜舎を改装して小さな郵便局の看板がぶら下がっていた。村の人間でなければそこが郵便局であるとは気が付かないだろうが、村人以外でこの郵便局を使う人はいなかったから問題はなかった。

 

 おや、ボウちゃん、久しぶり

 

 中に入ると窓口に座っている男性が声をかけてきた。正木の父親だった。早いね、うちのはバレーの練習まで図書館で時間潰すけえ言うて、今日も弁当もって行きよったっちゃ、とその男性は笑った。教室で正木が喋っているのを聞いていたのでその事は坊太郎も知っていたから、ああ、そう言ってましたよ、と愛想良く答えたのだが、坊太郎は通信販売の注文に必要な郵便為替なるものが一体何なのかわからず、まずその事を聞かねばと思っていた。近寄った窓口でその事を聞こうとしたら、そういや親父さんどうなん?と言うから、はあ、と曖昧な返事を返すと、手術するんじゃろ?一昨日お母さんが来て話しよったよお、と難しい顔をして見せるので驚いた。

 

 誰がですか?

 え?手術の話か?

 ええ、うちの父が手術を?

 おお、あれ?聞いとらんの?

 え?ああ、いや聞いてますが

 入院の上に手術いう事になりゃ何かと物いりだしなあ、いろいろ大変だわ、お母さん元

 気なかったけえねえ

 

 父親の手術の話なんか聞いていなかった。一昨日って事は坊太郎が旅行に出てからわかった事なのかもしれないなとは思ったが、明るく賑やかなコマーシャルが流れていたテレビの電源を一気に引き抜いたみたいに浮かれていた気分が一瞬で吹き飛んだ。なんだか少し疲れたような母親の横顔が思い出された。昨夕の郵便局長の科白にも合点がいった。

 

 で?今日は何?どっかに手紙出すん?

 あ、いや

 ん?何?どしたん?

 その、つまり、あれです、ほら昨日郵便局長に帰り送ってもらったんで、お、お礼だけ

 でもと思って

 

 坊太郎は逃げるように郵便局を後にした。入院費だけでも大変だというのに、その上に手術だなんてどれだけ母に苦労をかければ気が済むのだと思うと無性に腹が立った。

 坊太郎は地面に列をなしている蟻を見つけては踏みつけるような調子でズンズン歩いたが、目には何も映っていなかった。果たして手術代とやらが幾らかかるものなのか、自分が持っている4500円でいくらか足しになるものなのか、さっぱりわからなかったが、自分にとっては大金なわけだから、無いよりはマシだろうと思った。まともな息子なら、帰宅した母に実は小遣いが余ったので、手術代の足しにしてくれと差し出すのが筋で、それしかあるまいと思ったのだが、あれ程まで苦労して持ち帰った虎の子の小遣いを、あんなアル中親父の為に差し出すのは、まさに身を切られる思いだった。歯ぎしりしたくなるくらい父が恨めしかったが、母親が一生に1度の修学旅行だからと持たせてくれたなけなしの5000円をちょろまかしてコッソリ別の物を買おうとしている自分も似たようなものかと思うと溜息が出た。父子揃って妻母に苦労ばかり掛ける出来損ないだと思うと情けなくなった。旅行中、我慢さえすれば夢が叶うのだ、イングランドリーグで活躍するにはどうしてもアレが必要なのだ、そう思うからこそ、糞教師に殴られ、中崎達に意地悪され、正木の手下の宮本に万引き野郎と揶揄されても辛抱したというのに、何であんなアル中親父の為に。

 坊太郎は用意されていた昼ご飯に手を付けず、居間の真ん中に大の字にひっくり返って天井板の節穴を睨み続けた。

 

 

 

 母親はいつもより少し遅くに帰ってきた。坊太郎が暗い気分で母親を玄関先に迎えに出ると、昨日とは打って代わって上機嫌の母親は、あんたあのお土産のお餅、真由美ちゃんと一緒に買うたんかね?とはしゃいだ声を出した。帰りに立ち寄った郵便局で昨日の土産の話をすると、郵便局長、孫も坊太郎と一緒に買ったんだと、いの一番にあの餅を差し出したんじゃ、と笑ったらしい。

 

 

 真由美ちゃんね、久しぶりにあんたと同じクラスになった言うて喜んどったって、小学

 校ん時みとうにあんたと一緒に旅行の買い物できたんが一番楽しかった、言いよったら

 しいよ

 

 

 たとえ親不孝のドラ息子と言われようと、守銭奴と罵られようと今回だけは意地でも金は出さんぞ、と思っていた。何の手術だか知らないが、いちいち息子を頼ってくるな。あいつを親父だとも、己をあいつの息子だとも思っちゃいないが、そんなこと今に始まった事じゃない。たとえどんなに仲が良くても息子はいつかは親父を踏み越えて男になるのだ。ましてやあいつを親父だとも思っていない自分が、母親に苦労ばかりをかけるろくでなしを見殺しにしたとしても、どうという事はあるまい。

 母親が帰ってくるまでは本気でそう思っていた。それは超合金のハンマーを振り下ろしても決して砕け散る事のないダイヤモンド並に固い決意だったはずなのに、抜いたままにしていたテレビのコンセントを挿したら、急に賑やかで暢気な音楽が鳴りだしたみたいに、気分が変わった。何千年もの間、氷河に閉じこめられていた原始人が、溶けないはずの氷が溶けて動きだしニッコリ笑顔を見せたように、まあええか、という気になった。しょうがねえなあ、と。たしかに好きにして良いと言われたけど、もともと坊太郎が自分で稼いだお金じゃない。父の給料、でなかったら母が選果場で稼いだ金なのだ。本当に欲しい物ならいつか大人になった時、自分で稼いだ金で買えば良い。たしかに小遣いを使わなかったというだけで思いも寄らぬ酷い目にあったし、夢にまで見たアレは文字通り儚い夢と消えてしまったけど、まあええか、と。坊太郎は無言で現金を差し出した。

 

 

  なんね?これ

 

 母親が坊太郎の顔を見ているので、選果場の作業で荒れた母親の手を持って金を握らせて笑った。

 

  あの馬鹿、手術するんじゃろ?そがあなことじゃろう思うて小遣い、使わんと持って帰

  ったのっちゃ。わしもたまにはええ事しようがね。

 

 

 その科白で母親は全部を悟った様子だった。

 みるみるうちに溢れた涙が化粧っ気のない頬を流れて落ちた。坊太郎が握らせた金を押し返しながら母親は、馬鹿じゃね大丈夫よ、ちょっと胃潰瘍になっただけじゃけえ、お父ちゃんは死にやせんけえ、と泣き笑いをして見せ、仕事帰りに郵便局長に頼み込んで手術代を無利子で貸して貰える事になったから心配ないのだと盛大に鼻をすすったが、坊太郎は聞かなかった。

 アル中親父なんか胃潰瘍でも胃ガンでもなって野垂れ死ねば良いと思ってる不良のくせに善人ぶった振りをして、父親思いの孝行息子と誤解されるのもたまには悪くはない、とひねくれた坊太郎は思ったりした。